池袋の整体
2006年09月07日
首の痛みといえば、寝違えとムチウチ。
先週の加藤先生の記事にもありましたが、最近は多くなってるのでしょうか。私の周りでもよく聞こえてきます。昨日なんかは、テレビのトーク番組で司会者が「今朝、寝違えてしまって…。」とゲストの人に話してるのを見ました。カメラに向かいながら隣のゲストの方へ顔を向けるのがとてもつらそうでした。
朝、起きた時に首に走る激痛と共に全く動かせないとくれば、寝違えた!と思います。生活上かなり支障がありますが、でもそれは早ければその日のうちに、遅くとも2,3日すればよくなるものだとなんとなくわかります。稀に一週間ぐらい続く人もいらっしゃいますが…。
「寝違え」という名前であり、少なからず経験もあることで経過も想像できるものだから、そこに不安はありません。しかし激痛と動かせないという同様の首の症状であっても「ムチウチ」という名前ではいかがでしょうか。
まず、多くが交通事故というトラブルがきっかけになります。ちょっと追突されても、体が前のめりになれば重い頭も振られて、胴体と頭を繋げている細い首には緊張が走ります。この緊張が残ってしまうのをムチウチといいますが、レントゲン上でムチウチという状態が写る事はあまりなく、「骨に異常はありません」と言われる場合が多いです。
寝違えに比べるととても厄介な感じのムチウチですが、そのどちらに対しても私が行なう施術はそれほど大差はありません。主に頚椎の狂いを整えていって、緊張を和らげます。骨が7つ積み重なりその上に重たい頭蓋骨を乗せている頚椎はちょっとした傾きで頭の支えが悪くなり、何とか支える為に周囲の筋肉を総動員します。それが異常に起こってしまっているということでは、寝違えもムチウチもそんなには変わりないのかもしれません。
ムチウチも交通事故の時だけでなく、何かの拍子に「ムチウチみたい」になりません?
いずれにしても首の症状というのは、頭に近いからでしょうか、非常につらい思いをしたり、中々すっきり治らず、うっとおしかったりします。みなさん適切に処置ができるといいですね。
投稿者 肥塚 : 10:25
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2006年07月27日
「疲労」いうのは、ほとんどの人間が感じる自覚症状ですが、最近ではこの「疲労度」が異常に上がってきたように思われます。その原因として、労働時間の延長はもちろんのこと、精神的なストレスも時代に反映したものが様々な層にまで広がりを見せ、疲労というのは社会問題になってきています。
今や慢性疲労症候群という病名まであります。6ヶ月以上続いて生活を著しく損なわれるような強い疲労をいいます。微熱が続いたり、筋力低下や思考力、集中力の低下、また不眠などもひとつの症状になります。
病名があるということは病院での治療の対象となるのですが、しかし、日常生活の中で起こるこのエスカレートした疲労を改善する為には、必ず休息が必要となり、日常生活を続けながらにして改善を図るというのは非常に難しくなります。
また、私達のところにもその「慢性疲労症候群」らしき患者さんが見えるようになりました。どこともなく体全体がだるく、何とかして欲しいというほど深刻な疲れです。
病的なものとの境界線の幅がとても広く、客観的には判断しにくいだけに、「ただの」疲れとか疲れすぎという厳しい目に晒されてしまいがちです。しかし頑張ってなんとかなっているにしても、本人は不安で仕方がないというのが実状です。
この間見た新聞記事で、「唾液で疲労度を測定する」というものがありました。実験で残業のない会社員の方々と5時間以上の残業をしている方々の唾液を調べると、唾液中のあるウィルスが残業チームの方が明らかに多いのだそうです。
これまでは疲労物質とか筋肉中の乳酸だとかも言われてましたが、実際に測定して疲労を測るという目安にはなりませんでした。唾液ということで、簡単に疲労度が測れるようになると、生活に支障をきたす前に自己管理もしやすくなるのではと思います。
また、たくさんのデータを集めると、何がどれだけ人を疲れさせてしまうのか明らかになってくるでしょう。立ち仕事?デスクワーク?何業界?家事に育児に受験生。すべからくそこには関心が寄せられ、からだに対する見方も一変するかもしれませんね。
投稿者 肥塚 : 16:22
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2006年06月01日
今年の元旦にアップされた私の抱負に記したのは、「体を通じて幸せに…。」というものでした。
患者さんと向き合う仕事もこの春で丸8年になりましたが、ここにきて初めてうっすらと見えてきたそのイメージは、今年に限らず一生求めて続けていくものでしょう。
『健全な精神は健全な肉体に宿る』という言葉はあまりにも一般的過ぎて、言葉自体の重みというものがなくなっているように思います。またネットでも調べましたが、言葉の解釈は様々あり、作った人の本意が必ず私達の一般的な解釈とは違うみたいです。
それは置いといて、尚この言葉が一般的であるのには、やはり人間理解のひとつの鍵がそこにあるからでしょう。また、一度聞いたら忘れられない言葉の響きは、どこか人の心の深くに届くのでしょう。
私が掲げる抱負は、大それたことにマリアナ海溝のように深いこの言葉を実感しつつ、その感覚を患者さんと共有したいという一筋の希望ですね。
からだが良くなっていく時の患者さんの表情までが明るくなるのはもちろんのこと、今までになかった新たな感覚が出てくるとき、その喜びは・・・・感じた人にしか分からないのがもどかしいのですが、そのときに「幸せな感じしませんか?」というと、ウケます(笑)。
一方でどうにも浮かばれない人がいます。カルテには主訴以外に色々な体に関する自覚症状を書いてもらうのですが、この欄が埋まっている人は、病気とはまで言わないものの体の不快感を日常的に感じていて、そんな不快感がストレスとなってまた体へ影響するという悪循環になっていることが、もはや体に仕組まれたもののように思われます。
このように、今までは見えなかった体と精神のつながりが見えるようになり、より一層、体からこころへ響くような可能性を見出すようになったのです。
で、抱負がどれだけ達成されたかというと…。それは私の施術を受けている患者さんに厳しくご判断いただきたいと思います(笑)。
投稿者 肥塚 : 15:03
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