肥塚裕介
2008年01月25日
「気づいたら肩が痛くて上がらなくなってた」「いきなり肩が痛み出して、少しでも動かすと痛い」
これまでに味わったことのない身体的な苦痛、不自由は、絶望に近いものがあります。それまで、自分の体がまさかこうなるとは思いもしません。そして、病気に見舞われる不幸とまた違い、年齢を強制的に認めさせられる精神的苦痛が伴います。
「何でこうなっちゃったんだろう…」
一様に問われるこの質問に、私たちは基本的にはこう答えるしかありません。
「今のところ原因は不明とされているんです」
よく誤解されている話ですが、四十肩の四十は年齢の四十ではありません。40度しか上がらないという俗語です。手を横に下ろした状態から、水平の位置が90度。40度はその半分も上がらないということですね。なったことのない人にはありえない感覚なのです。
手や腕をよく使う人、肩こりの強い人に起こりやすいのですが、多くの人に当てはまりすぎて、自分はそうかもという危機感を持つ人はあまりおられないでしょう。
そんなときにいきなり、もしくは少しおかしいと思ったらどんどんひどくなって、四十肩になるのです。
症状は長期化します。時々すぐ直ったという話を聞きますが、その場合は四十肩になってなかったことも考えられます。肩が挙がらないとすぐに四十肩というわけではありません。「肩を挙げると痛い」なんて周囲に漏らすと、真っ先に四十肩と言われて不安になってしまいますが、肩甲骨が固まっただけでも肩が挙がらなくなり、その場合はすぐに治ります。
四十肩の場合、肩が挙がらないことと同時に腕の回旋も痛みます。たとえばお尻ポケットの財布を抜くとか、背中のファスナーに手を回せないなどです。
また、動かさなくても疼くような痛みも出てきます。夜寝られなくなるなど、その苦痛はなった人にしかわからないでしょう。私はなったことがないのですが…。
対処は早ければ早いほどいいです。期間は圧倒的に短縮され、完全な可動域が回復します。
身近でよく聞く話だけに、できれば経験しないですみたいものですね。これもやっぱりストレスと運動不足がかかわってきますので、お気をつけ下さい。
投稿者 肥塚 : 14:23
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2007年10月23日
スポーツの秋です。
普段から体を動かしている人も、この時期限定の運動会に参加する人も、思いもよらぬアクシデントに見舞われた経験があると思います。
足首の捻挫。
軽い場合は、湿布して数日で治りますが、パンパンに腫れあがって足首が曲らなくなったり、足をつくのも痛くて引きずってしか歩けないような重症の場合、日常生活にとても困ってしまうものです。
基本的な対処方法は、RICE法(Rest,Ice,Compression,Elevation)があります。レントゲンで骨に異常がなく捻挫と診断された場合にとられる方法です。
こうして急性の症状であるところの炎症が治まるのを待つわけですが、激しい捻挫の場合、足関節やその先の細かい足根骨のアライメントが狂ってしまうことが多く見られます。いわゆる、ずれてしまうということと同じです。
特に一ヶ月たっても「なんとなく治りきらないなぁ」というような場合は、まずそうなっています。
この状態、気にしなければ気にならない程度のことかもしれませんが、足のアーチの重要性を考えると放っておくのは、賢明ではないでしょう。なにしろ、体重を左右の足で支えるクッションの役割なのですから。
どこに行っても治らないというような難治性の腰痛を抱えていらっしゃる患者さんは、遠い過去にこのような捻挫を経験している方がいらっしゃいます。
不思議と足を調節することで、腰痛も治まります。
また急性期にしても施術は可能で、腫れの引き方がとても早いです。
スポーツの秋は捻挫の多発時期。しっかり治していってくださいね。
投稿者 肥塚 : 10:21
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2007年07月05日
今回、私が取り上げたのは「唾液」にまつわるお話です。
その重要性はあまりピンと来ませんが、潜在的な関心は高く、健康キーワードの一つとなっていくのではないかと思います。
その証拠が、テレビのCMにも表れています。ガム、歯ブラシ、口臭予防商品のCMを挙げると、意外にたくさん思いつくのではないでしょうか。
最近のガムのCMで、V6の岡田准一くんが「口内環境」という言葉をキャッチフレーズにしているものがありますね。
「歯の健康にとって大切なのは口内環境を整えることで、 口内環境とは、歯、唾液、口腔細菌などを含めた、口の中の全体の状態のことです。
初期う蝕の発生は、歯垢内の環境の乱れから発生し、それをまず整えることが重要であること。また唾液の働きが大きく関わっていること…」
このCMをネットで調べると、以上のことが記されていました。詳細はそちらにお任せしますが、唾液の分泌促進は虫歯予防になるということが、以前より言われていました。
またガムを噛むのは、嗜好品として楽しむというよりも、口臭対策とすることが多いのではないでしょうか。
ガムに限らず口臭対策の商品は、例えば歯磨き粉や洗浄液などがありますが、口臭の原因で一番にあがるのは唾液の分泌低下です。口臭は、食べ物のカスをエサとしてに細菌が繁殖して起こりますが、殺菌・抗菌作用のある唾液がそれを防いでくれています。
唾液の分泌は常に一定ではなく、寝ている間などは低下しています。たいていの人は朝起きたときには口臭がきつくなっていますし、また、加齢やストレスでも分泌は低下することがわかっています。
加齢による唾液分泌低下
年齢とともに口や顎の筋力低下や萎縮がおこります。人間の筋力は個人差がありますが、約30才でピークを迎え、45才位までは緩やかに低下します。その後徐々に加速し、60才前後になると急速に筋力の低下が始まります。筋力の低下と共に唾液腺には刺激が伝わらず、唾液の分泌量は低下するというわけです。
ストレスによる唾液分泌低下
唾液中で食べ物を分解することで知られている消化酵素“アミラーゼ”は、ストレスを感じたときに、ストレスの度合いに応じて上昇することがわかっています。そして、なんとストレス測定器なるものが家庭用としてネットで販売されていました。19800円は高いのか安いのか?
唾液分泌低下による口内環境の乱れは、虫歯の並ぶもうひとつの疾病、歯周病のリスクにもつながります。
歯周病は、歯周病菌によって引き起こされるますが、この菌は常在菌。すべての人の口の中に住んでいます。そして、歯垢をエサとして繁殖します。だからエサとなる食べかすを完全に除去するかのごとく、歯磨きは励行されるのですね。このあたりは、虫歯と同じです。
しかし、毎日、朝晩ていねいに良く歯を磨くが「歯周病」や「むし歯」が進む人もいれば、あまり歯を磨かないのに進まない人もいることがわかってきました。これらの人は唾液の分泌量や成分に何らかの違いがあるというのが、歯科医の間でも共通認識になりつつあります。
また恐ろしいことに、歯周病菌は歯肉から血管に入り込み全身にまわり、からだ全体の病気にも影響するという研究結果もチラホラ新聞などで見かけるようになり、唾液は、たかが「つば」と、唾棄できないものになりました(笑)。
唾液が出ていることは、さも当たり前のようなのですが、しかし「唾液が出ていない!」と感じるほどであれば問題は深刻です。そんなケースはまれであり、ほとんどの場合が、気がつかないものなのでしょう。口の中の病気の大きな二つである虫歯と歯周病が、これほどまでに身近であるということは、すべての人が気づかないうちに、しかも思ったより減少していくものなのかもしれません。
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ここしばらく、唾液について考えている日々でした。そんな中、思いがけず唾液が促進される体験をしました。
こうも暑くなってくると、普段はあまり飲まない私も、夕食の際にビールを飲みだすのですが、ある日ビールを切らしてて、代わりに飲んだのが、かなり前に頂いてそのまま放置されていたワイン。
自ら進んでワインを飲むことなどなく、おいしいと思ったことがない私でしたが、たまにはお洒落気分でと、コルク抜きをわざわざ探して空けました。ビールだとのどごしで味わうところですが、ワインを同じようにして飲むものではないなと思い、舌で転がすようにして、しばらく口に含んでいると、酸味が利いて大量の唾液が出てきました。
それがよかったのでしょうか。生まれて初めてワインを飲んだ気がしました。しかも、唾液分泌で食も進みます。これは夏バテにも良さそうですよ。
今はもうそのワインはないのですが、また新たなワイン(これも頂き物なのですが)が空けられていて、ヘンな趣味みたいですが、毎晩唾液分泌を楽しんでいます。
投稿者 肥塚 : 10:06
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2007年03月02日
2007年。3月になりました。今年の私の初記事です。
ここまで雪が全く降らず、2月半ばにして春一番が吹くという異例の暖冬。骨身にしみるような寒さを感じる事なく春を迎えるのも、複雑な気分ですね。
私としては、学生時代にスキーで経験した骨の髄まで感じる寒さは、むしろ歓迎なのですが、寒さから体が解放されることは、骨休みと言うでしょうか。
わざとらしく「骨、骨」連発してますが、今回、私が選んだテーマは「骨」。カイロや整体という骨を扱う専門家として、少し語ってみたいと思います(笑)。
骨の中でも、中心的存在は背骨。そして背骨の解剖学的名称は脊椎といいます。(ちなみに脊髄はその中にある神経の束のことです)そう、あの脊椎動物の脊椎です。脊椎動物は背骨を中心とした骨格を特徴とした動物です。動物界ではあたかもそれが大多数を占めているかのようですが、しかし、脊椎動物というのは動物の中の5%に過ぎません。昆虫も含めて、残り95%は骨を持たずに動き、エサを探し求めているのです。
もしかすると、背骨を中心とした骨格を有するというのは特異なことなのかもしれません。最後に生き残るのはゴキブリだなんていいますしね。少数派にして「みみずだ~って、おけらだ~って」と歌うのはおこがましい?
は、置いといて話を進めましょう。
骨格とそのつなぎ目の関節でもって運動器。それにプラス骨格筋・腱・靭帯をあわせて運動器系。(骨格筋…筋肉はほかに心臓や血管、胃腸なども筋肉でできているので、運動器系の筋肉は区別して骨格筋といいます。)
運動器系?病院では、科の名前に使われる器官系名称。例えば、循環器科とか呼吸器科、泌尿器科。骨の場合は運動器系という分類ですが、受診するのは整形外科なんですね。
その運動器系のうちの骨の機能。
①身体の保持
②外力からの保護
③血球の産生
④カルシウムの貯蔵
ここで注目は③。知らなくもないことですが、赤血球や白血球は骨の中、骨髄で造られています(造血機能)。言わずもがな、血液というのは健康のバロメーター。体の状態が一番現れるものですが、こんな重要な機能は意外にも骨の中にあるんですね。肝臓だとか膵臓だとかのように、血液を造る臓器があってよさそうなものですが。
ありました!(笑)。脾臓です。といっても、大昔、まだ哺乳類でなかった時代ですが。ヒトではもうその機能は失われてしまってて、古くなった赤血球を処理しているだけの臓器です。
とにもかくにも、骨の中で血液を造るという機能があり、その働き具合はその他3つの機能と同時並行的かつ流動的でしょう。
ここで、①身体の保持について。
運動器である骨がその形態を維持していくには、重力という大きな要素が関わります。成長期にはもちろん、成長が終わった骨でさえも、重力の影響を受けた造骨細胞と破骨細胞の働きによって、必要があれば骨の形が変わっていきます。
骨の内部断面には、力のかかる方向、エネルギーの流れる方向に沿って海綿状の構造が見られます。重力に抗して体を保持する骨のカタチには、それなりの意味があるわけです。
高齢者になると「変形性ナントカ」などの骨の疾患が増えてきますが、60年以上もの間、重力に耐えるのは至難の業なのでしょう。
また、これは単独の骨に限らず、全体の骨格にも言えることです。骨格自身は、基本的にはそれだけで直立できる構造になっています。理科室にだらしなく吊るされたあの全身模型が立てるかといえば、ちょっと難しい気がしますが…。
これはあくまで、理論上のこと。ですが、普段私達が座り、立ち、歩くという姿勢・動作には「正しさ」があり、「骨への意識」はその一つの答えでしょう。また、「軸」とか「臍下丹田」も姿勢のイメージですが、実際に存在しないものをイメージするのは非常に難しい。しかし、「骨への意識」はそこに到る一つのヒントとなるでしょう。
そしてそれは、ただ単に機能①を満足させることに留まりません。このようにして骨格の支持機能を最大限発揮させているとき、機能③骨の内部にある骨髄の造血が最も発揮されているといえます。
正しい姿勢が血を造る。骨の重要性はここまで及びます。そして、これが私達が患者さんの健康に深く貢献できる理由なのです。
投稿者 肥塚 : 10:19
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2006年12月28日
今年最後の日になりました。
この一年も、たくさんの患者さんを診させてもらいました。継続して来院されている患者さん、今年新しく出会えた患者さん。色々な方が、色々なからだの問題を抱えていて、毎日が本当に刺激的でした(笑)。
私達はからだを診ていますが、そこに現れるのはその人の習慣であり、一日の行動、生活であり、気持ちであり、無意識であったりします。積み重ねてきた過去、辿ってきたプロセス…。容易ではありませんね(笑)。書いてて自分のやっていることの大きさにちょっとびびりました。
だから予想を超えて良くなってくる患者さんには感動ものなんです。
また来年がすぐにそこにやってきています。刺激的な一年が。
投稿者 肥塚 : 14:32
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2006年12月21日
年末が近づく中、相次いで著名人・芸能人の訃報が届いています。
その名が世に知られているという存在は、とても華やかです。自分の為すことが多くの人に評価され、注目を集めていくのは、誰もが憧れることだと思います。
しかし、その人生の歩みというのは必ずと言っていいほど平坦ではありません。「出る杭は・・・」ではありませんが、傑出した才能と突出した人間性は、周囲と調和することにとても苦労を強いられるでしょう。
自分が歩んでいく中のそんな軋轢にも、屈せず耐えるエネルギーが道を開いていくのかもしれません。
有名人でなくとも、誰もが自分に真摯に生きています。大変さを抱えながらも、泣くか笑うかは人それぞれ。でも、同じ大変なら笑わにゃ損損。
そんな笑顔の裏側を知っている人が身近に必ずいてくれるものです。そしてその人の笑顔をそんなふうに理解できることが、また自分を救うのかもしれません。
訃報のニュースでは、故人の良き理解者が語る姿が見られます。仕事から外れたところで親交が深いのが、意外に映るほど。数ある友達付き合いの中でも、深まる絆が別にあることを思い知らされます。
投稿者 肥塚 : 11:04
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2006年12月14日
12月も半ばに差し掛かり、冬らしくなってきました。年末も目の前。色々とやらないといけないことが頭の中で浮かんでは消えていきます。
子供が生まれてからは、恒例になったインフルエンザの予防注射。しかし、今年はイヤに感染症の話題が多いように感じます。
やはり出てきました。ノロウィルス。お腹に来る風邪といわれるようになって数年。基本的には食中毒です。カキなどの生もの媒介して食べた人やそこに従事する人に感染します。しかし、今年は飛沫感染で爆発的に広がっています。恐ろしいことに空気感染のような例もあり、感染経路が多様化しています。12月から始まり、1~2月がピークになります。
マイコプラズマ。乾いた咳が続く場合に注意。抗生物質が、そのウィルス用のものしか効かないので、対処が遅れやすい。遅れると肺炎になります。
たしか、おたふく風邪も今年流行っていると新聞で見ました。
私の場合、風邪ではめったに病院にはいかなかったのですが、そうも言ってられなくなってきました。この秋一番に風邪にかかり、免疫低下を否応なく感じさせられているので、手洗い・うがい、満員電車の中でマスクするなど、予防には細心の注意を払いたいと思います。
今罹ると、押し迫る年末にまた慌てなくてはいけませんからね。
投稿者 肥塚 : 15:28
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2006年11月30日
インターネットが主な窓口である以上、インターネットを利用する人でなければこちらを知る手立てはありません。もちろん御紹介の方を除いてですが。
つい先日、70歳代の方がいらっしゃいました。このぐらいの年代だと、カイロプラクティックは怖いものという印象を持つ人がまだまだたくさんいて、接骨院や整形外科以外の選択支をなかなか見つけられないという問題もあります。
最近はパソコンを操るご高齢の方も増えてきているんだなと思い、伺ってみると遠方のご子息に調べてもらったということでした。
多くの患者さんがおっしゃるように、ホームページを見ても実際に行ってみないとわからないのが本当なのですが、この方もご子息に見つけてもらったものの、周りの友人から怖い体験などを聞かされていました。そのわりにご本人はそれほど心配してらっしゃらなかったので、何とかたどり着けたというところでしょうか。
この世代からの信頼は思ったより失墜しているものだなと改めて思い知らされました。
ご高齢の方のからだが、若い世代に比べて改善しにくいというのは大いにあります。何十年もの間動き続けてきた歴史が、私達の前に立ちはだかります。
しかし、からだのはたらきを筋骨格系から整えるというのは紛れもなくカイロプラクティックの得意とするところ。高い技術で、もっともっと信頼を勝ち得ていきたいと思います。
投稿者 肥塚 : 14:38
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2006年11月09日
そろそろ、朝、顔を洗う水が冷たく感じるようになってきましたね。
夏場は火照った顔に冷たくて気持ち良かった水でした。最近では、冷え込む朝には少々気合が必要です。いつまでお湯を使わずにいられるか、毎年結構頑張ったりしています。
「冷たくないと思えば冷たくない。」心頭滅却すれば…ではありませんが、やはり気合の入れようで違います。その一瞬、からだの受け入れ態勢が整うのでしょう。意外と冷たくなく、夏場のような気持ち良さも味わえます。
そういった精神の働かせ方は、徐々に失われつつある日本人の得意な「根性」「忍耐」の類です。それらは、精神を一つの方向に向かわせるだけで、無駄が多く、工夫のしようのないのが欠点です。効率性の時代にあっては、適しなくなってきているのでしょう。
一方、現代日本人が時代に適応させた精神があります。
『OOモード』という言葉があるように、現代日本人は様々な局面に応じて自分の内面をスイッチしていくことを身につけました。仕事場とプライベートというだけでなく、多様な人間関係の中で、スムーズなコミュニケーションをとるべくモードが変わります。
このモード変換を利用して、からだを反応させるわけです。
朝、洗面台の前に立ち、半分寝ているからだのまま、自分のモードをテンションを上げる場面にスイッチします。付き合って間もない恋人と待ち合わせているとき、三次面接までクリアして最終面接のドアを開ける瞬間、お稽古事の発表会。
そうすると、思ったよりも水が冷たくないのが意外なほどです。もちろん、どこまでもというわけにはいかないでしょうが、いつまで水でも大丈夫なのか今年はこの方法で試してみようと思います。
投稿者 肥塚 : 11:09
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2006年11月02日
私達のからだは酸素と栄養を外部から取り入れ、エネルギーやからだの一部を作り変えたあと、残りカスを外に出して、状態を保つようにしています。それを個体の営みといいます。
遺伝子による寿命はあるものの、まさに何十年もの間、からだはその営みをやめることはありません。これは、どんなに科学技術が進歩しても、人が作り出すものの寿命と比較しては、圧倒的に長くなります(あっ。おじいさんの古時計には負けますね)。
日本も含め先進国の平均寿命が伸びてきたのは、医療の発達もありますが、やはり栄養状態が良好になってきたことが大きな理由でしょう。
しかし最近、『食育』という言葉が頻繁に出てきているように、私達を取り巻く栄養環境と私達の体の状態が一致しなくなってきています。決して食べられない環境ということではなく、いつでもどんなものでも食べられるような環境だからこそ、徐々に『食』というものがないがしろになってきたかのようです。
ただ単に、食べ物はからだの中に入っていくのではありません。口元に食べ物を運ぶのが食事ではありません。咀嚼し唾液とからめ、消化液で分解し、絨毛で吸収します。
食べ物が入ってきたときの感覚を大事にしていくと、栄養の吸収率が違うのではないかと何となく確信しています。
「熱い塊が喉を駆け下り、胃の中で爆発する。」「一気に胃の中に送り込んだ。」「たちまちの内に胃の粘膜が吸収いていくのが分かった。」
全てアルコールに対しての表現なのですが、たまには読んでみるものですね。ハードボイルド。
投稿者 肥塚 : 11:20
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2006年10月26日
今やあちこちで耳にするようになりましたね。こんな耳慣れない専門用語が、サラリーマンの方々の間では常識みたいです。今までウエスト周りをズボンのサイズ程度にしか知らなかった方々も、一度はメジャーで測ってるのでしょうか。特に85cm付近の方々は(笑)。
現代人のかかる病気の大半が生活習慣病です。健康診断でその指摘を受けている中年以降の予備軍は、食事制限をしたりスポーツクラブに通ったりと奥様のご協力の下(笑)、努力を続けていらっしゃることでしょう。
肥満といえば、日本人よりもアメリカ人の方が事情は深刻なのでしょう。最近、ディズニーランドでのファーストフードの販売がとりやめになりました。また、ある裁判で「明らかに肥満になるとわかってても、ハンバーガーの販売を止めさせるのは法律ではない。」という判事の言葉は印象的です。
必ずしもアメリカ人と同じ道を辿るというわけではないと思いますが、肥満先進国の動向は日本人にも無関係ではないのでしょうか。
タイトルの語が今年の流行語大賞になって、来年には忘れ去られるという結果になってもならなくても、自分の体を守る気持ちを持ち続けたいですね。
投稿者 肥塚 : 15:50
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2006年10月12日
池袋で腰痛・肩こりを何とかしたい!と思っているアナタに役立つ整体院です!
03-5951-9335 先ずはお電話をどうぞ!
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今回の災害から1日でも早く、復旧し、日本が立ち直れるように。
また、あなたとあなたの大切な方が無事であることを心よりお祈りしております。
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マッサージだけでは届かない、取りきれない奥の奥の痛みとだるさに!
腰の奥のツラサには「お腹」と「股関節」の奥にある筋肉へのアプローチが効果的。
あきらめていた30年来の腰痛だって克服できます。
ただの揉み、マッサージにはない、仙腸関節の調整で腰痛の変化を味わって下さい。
1回でも違いがわかるでしょう。
アナタの自慢?の腰と肩に お会いできることを楽しみにしています。
肩こりの方には頭蓋骨調整と頚椎、鎖骨、肩甲骨そして肋骨の動きを取り戻します。
池袋で肩こりや腰痛を何とかしたい~!と
悩んでいる方はとっても多いんです。
池袋にはたくさんの整体やマッサージがあります。
このページをご覧のあなたも
腰痛・肩こりに悩む一人にちがいありません。
固まった筋肉をほぐす、動きが低下した関節と骨格を元に戻すのは基本。
でも、痛みと固まりを作るのは筋肉ではなく神経の作用です。
当院では神経にアプローチするから症状が変わります。
03-5951-9335
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さて、ヘルニアのお話ですが、ヘルニアは元々「飛び出す」という意味です。
椎間板が飛び出すから椎間板ヘルニア。
おへそ(臍)が飛び出すと臍ヘルニア=出ベソ。
鼠径部(足の付け根)から腸が飛び出すと鼠径ヘルニア=脱腸と言います。
ここでは椎間板ヘルニアの手術のお話しを紹介しましょう。
とてつもない痛みと、足のしびれや痛みで悩まされる椎間板ヘルニアは腰でも首でも起こります。
椎間板の中にレーザーで空洞を作ると圧力が下がり、飛び出して神経にさわっているところが引っ込むという手術法があります。切開も小さくてすみ、短時間で入院もなしということでとても手っ取り早い。
テレビで紹介されていましたが、
手術の様子が撮影されてて、患者さんは手術を受けた直後から劇的に改善していました。保険が適用にされないので50万円前後と費用は高めですが、昨日紹介されてた病院は4年先まで予約の患者さんがいらっしゃるそうです。
腰痛というのは、約7割の人が人生で一度は経験するといわれています。こちらにいらっしゃる患者さんの中でも、肩こりか腰痛を主訴とする方がほとんどです。
若いうちは比較的治りやすいが、再発することがほとんどで、加齢によって慢性化します。多くの方が「上手く付き合って」いくことになるのが、この腰痛です。
上記の手術はテレビで紹介されてた病院だけでなく、インターネットで調べると色々な病院で実施されています。それではといって、簡単に受けられるかというとそうではありません。手術は最終手段として、基本的には保存療法、つまり薬物療法や牽引、リハビリで対応するのが、慎重かつ良心的な対応のようです。
そういう意味では、腰痛は如何に手術をせずに克服するかといえるでしょう。私達の所へ来る患者さんに対しても、その人の将来を通じて絶対手術にならないようすることが一つ役割と考えます。
「上手く付き合う」も、単にあきらめの言葉にせず、日常生活をより快適に送ることは決して不可能でないと思います。
投稿者 肥塚 : 14:01
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2006年10月05日
運動会の季節ですね。第一から第十まである朝霞小学校も、これからの日曜日が賑やかになりそうです。
運動が得意な人もいれば、苦手な人もいます。そんなことはおかまいなしに全生徒が持ち前の運動能力を披露することとなります。
競う限りは勝ち負けがありますし、誰しもが必死になって勝ちにいくでしょう。しかし、頑張れば頑張ったなりの結果が出るかといえば、競技はそう甘くはありません。一つの学校という狭いエリアでさえ、一等賞を取るのは至難の業です。
それどころか転んで怪我して散々なこともありますし、自分の実力に落胆させられることも少なくないでしょう。
でも、先生やお父さんお母さんが応援してくれることが嬉しくて、また仲間からの賞賛を勝ち取りたくて、普段にはない姿を見せます。
みんなが一瞬必死になれる運動会。私も来週、ちょっと必死になってみたいと思います。
投稿者 肥塚 : 15:22
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2006年09月28日
と書いたのがちょうど一年前の9月30日。そして今年もここまで優勝争いを続けて、ファンを楽しませてくれています。逆転の望みは薄いながらも、一日一日、しのぎを削るような緊迫感に息を飲んでいます。
そういえば、今年は多くのスポーツイベントがありました。野球のWBC、トリノオリンピックにサッカーワールドカップ。今までになく、私もスポーツ観戦をしました。もちろんテレビですけど。
「もしかしたら見る側に回っている?」
多くの患者さんと同様に、私も自分の体は十年前のイメージ。昔はむしろプレーする方でした。もちろん、今でも体を動かすことは好きです。しかし明らかに足の出方が鈍く、思いもよらないところがつったりするのが現実。
そんな中、超一流のプレーに炊きつけられたのでしょう。前回記事に書きましたように『素振り』。あれは、今年の流れでもあったんですね。
体が動く喜びというのは、失われながらすがるのではなく、自らの中に新たに発見していくことなんだと思います。
投稿者 肥塚 : 22:48
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2006年09月21日
毎年エントリーしている11月の戸田マラソン。今年もその練習を始めています。
距離にして約20㎞のハーフマラソン。練習は休日に10㎞ぐらい走ります。昨日(休診日でした)も午前中に走ったのですが、予想外の暑さに10㎞で完全にバテました。あの調子だと15㎞走るのが限界で、とても20㎞はもちません。年齢が上がるにつれて、だんだんと完走が大変になってきました。あと2ヶ月…か。
最近、2歳の息子にグローブとバットを与えて遊ばせています。私も少しやってみたくなり、息子を横目に素振りしたりしています。これが結構楽しいんです。私は右打ちなのですが、左で練習すると腰の調子が良くなったりして、ちょっとしたリハビリも兼ねています。
そういえば子供の頃、近所に「バットおっさん」というのがいました。夕方になると家の前で素振りしてるのですが、通行人はよけて通らないといけないほど危なっかしい。そんな「バットおっさん」の横を自転車ですり抜けるスリルを味わっていました。
野球の試合もないのに素振り。ちょっとした運動に素振り。何となくですが、あの「バットおっさん」の気持ちが分かるような気がします。
余計な話ですが、近所には「唾かけおっさん」というのもいました。
投稿者 肥塚 : 15:52
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2006年09月14日
大学時代からとても仲の良い先輩が、最近結婚されました。
奥さんは中国の方で、先輩が海外駐在中に知り合われたそうです。夏季休暇ということで一週間日本に帰ってきていたので、昨日、奥さんも一緒に3人で食事することになりました。
会うまではとても緊張しました。もちろん会話が成立するかどうかの心配もありますが、やはり先輩の奥さんにしてどんな人なのか、ちょっとした親心(言葉は適切ですか?)がおせっかいにも働いていたのだと思います。
でもそれは全くの取り越し苦労でした。とても知的で美人で、おしゃれでかわいらしくて、不覚にもこっちが気おくれしてしまいました(笑)。会話の方は決してスムーズではなかったですが、お互いよく頑張ってたと思います。
ところで彼女は天津の出身だったんですが、真っ先に聞いてしまいました。「やっぱり天津飯は食べられてるんですか?」ご飯にかに玉をのせて食べる、天津丼とも言いますよね。 「王将」なんかでも人気のメニューだと思います(私の中では)。
しかし、なんと答えはそういう食べ物はないとのこと。あの俗語は、どこから来たんだ!ちなみに「中国4千年」という日本人には馴染み深い言葉も、中国の歴史は5千年だと一蹴されました。
そんな言葉も文化も愛があれば越えられる!と言ったら、お前は古い。と言われました。
ともあれ、『おめでとうございます!』
投稿者 肥塚 : 09:51
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2006年09月07日
首の痛みといえば、寝違えとムチウチ。
先週の加藤先生の記事にもありましたが、最近は多くなってるのでしょうか。私の周りでもよく聞こえてきます。昨日なんかは、テレビのトーク番組で司会者が「今朝、寝違えてしまって…。」とゲストの人に話してるのを見ました。カメラに向かいながら隣のゲストの方へ顔を向けるのがとてもつらそうでした。
朝、起きた時に首に走る激痛と共に全く動かせないとくれば、寝違えた!と思います。生活上かなり支障がありますが、でもそれは早ければその日のうちに、遅くとも2,3日すればよくなるものだとなんとなくわかります。稀に一週間ぐらい続く人もいらっしゃいますが…。
「寝違え」という名前であり、少なからず経験もあることで経過も想像できるものだから、そこに不安はありません。しかし激痛と動かせないという同様の首の症状であっても「ムチウチ」という名前ではいかがでしょうか。
まず、多くが交通事故というトラブルがきっかけになります。ちょっと追突されても、体が前のめりになれば重い頭も振られて、胴体と頭を繋げている細い首には緊張が走ります。この緊張が残ってしまうのをムチウチといいますが、レントゲン上でムチウチという状態が写る事はあまりなく、「骨に異常はありません」と言われる場合が多いです。
寝違えに比べるととても厄介な感じのムチウチですが、そのどちらに対しても私が行なう施術はそれほど大差はありません。主に頚椎の狂いを整えていって、緊張を和らげます。骨が7つ積み重なりその上に重たい頭蓋骨を乗せている頚椎はちょっとした傾きで頭の支えが悪くなり、何とか支える為に周囲の筋肉を総動員します。それが異常に起こってしまっているということでは、寝違えもムチウチもそんなには変わりないのかもしれません。
ムチウチも交通事故の時だけでなく、何かの拍子に「ムチウチみたい」になりません?
いずれにしても首の症状というのは、頭に近いからでしょうか、非常につらい思いをしたり、中々すっきり治らず、うっとおしかったりします。みなさん適切に処置ができるといいですね。
投稿者 肥塚 : 10:25
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2006年08月31日
たま~にある自由時間に、久々に映画を見てきました。
「大人一枚」というと、「どちらの作品ですか?」まるでここはお風呂屋さんですかというような視線で問い返されました。
知らなかったわけではないのですが、最近の映画館っていくつもスクリーンのあるんですね。なので、映画名を指定しないといけないわけです。
急に言われると、あれタイトルなんだっけと出て来ません。係員後ろの掲示板で確認して、「ユナイテッド93です。」言ってる途中、頭の中で「きゅうじゅうさん?じゃおかしいでしょう。けど93の英語読みって???」と葛藤し、「ないんてぃすりー」となんとかかまずに言えましたが、緊張しました(笑)。
「次回3時15分からので宜しいですか?」「あっ、そうです。次のやつです。」今のチケットは、何回目かの上映を指定して購入します。以前は、そんな前もって買うことなく、次の上映に決まってたのに。
そしてお座席のほうですがと、座席表を見せながら、ここがお勧めですというので、「じゃあ、そこで」と自分で決められるのか決められないのかよくわからないまま、チケットを受け取りました。
中へ入ると時間が早いのか、まだ人がまばらにしか座っていません。自分の座席を探していると、とても不自然なことが起こりました。通路脇から3つ目だったのですが、通路側にはすでにカップルが。私がそこへ座ると、ガラガラの電車で先に端っこに座っている人の隣に座ったような感じでしたが、そんななんとなく変な空気に耐えていた15分は長かった。
こんな些細なことで、「便利さは時に不便でもある」とか、「昔のほうが良かった」などと言うつもりは全くありません。しかし、自動改札が閉まってしまい戸惑っている人の背中に突き刺さる冷たい視線と同じようなものを感じ、少しいじけた気分になりました。
そんなこと言ってる私は時代に遅れつつあるのでしょうかね(笑)。
ちなみに映画自体は、9・11当時のショックがリアルに再現されてて、最後の最後まで心拍数上がりっぱなしでした。
投稿者 肥塚 : 12:21
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2006年08月24日
この治療院の近くに通称ビックリガード(池袋界隈では大体通用するみたいです)という高架下があります。もちろんその長さ、大きさにからくるネーミングだと思うのですが、そのFunnyな響きは妙にインパクトがあります。
ビックリガードは、車道と歩道がコンクリート壁で完全に仕切られてて、歩道は人の幅で片側2車線といった所でしょうか。そこを自転車も通るのですが、階段の所は上る側、下る側の両サイドに50cm幅でスロープになっています。
そこではまず自転車から降りて、上り下りしないといけないのですが、下りは乗ったまま下ってくるチャレンジャーが少なくありません(特に男性)。時にそのチャレンジは失敗するみたいで、バランスを崩した顔は強烈にビックリしています。(その意味でビックリガードなのか…)
今朝、前後子供乗せ自転車のお母さんを見かけました。前に弟君を乗せたまま、自転車を押して階段を上っていました。お兄ちゃんがその後を歩いて上っていきます。ちなみに、階段は大人でも大股になってしまう広さがあり、小さなお子さんには歩幅がとても間に合いません。お兄ちゃんは、一歩上ってはチョコチョコ歩いて、また上ってはチョコチョコ、なれない足取りで一生懸命です。
弟君を乗せた自転車は、とてもじゃないけど重くて途中停車させられません。そうするうちに、お兄ちゃんはお母さんから遅れていきました。そのお兄ちゃんに追いついた私は、むげに追い抜くことも出来ず、少しお兄ちゃんの背中を押しながら、ゆっくり上っていきました。
上りきった時、後ろを振り返り、迷惑顔が並んでいるかと思いきや、そんなお兄ちゃんが微笑ましかったのか、何となくみんなにこやかでした。
自転車を押して上るのは結構大変そうで、時々苦しそうな自転車を後ろから他の人が支えてあげたりする場面があったりで、ビックリガードはちょっとした心の行き来がある場所です。
投稿者 肥塚 : 13:59
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2006年08月17日
お盆の間、お休みを頂いて京都の実家に帰省してきました。
宇治市のとなり、城陽市は私が幼少の頃から社会人になるまでの間過ごした場所です。住宅街は殆んど変わらず、近所を歩いていると、そこかしこに同級生の家が出てきます。今はみんな出て行っているのですが、訪ねて行ってご両親と世間話をして、友人の予定を聞いて帰ります。
人と会うのに先に電話で連絡を取り、時間場所を決めるのって、子供の頃にはなかったんですね。いるかいないか分からないけど、とりあえず家に行く。それはそれは非効率的でした(笑)。子供の頃の私の夏休みって、そんな風に40日過ごしていたのですが、その習慣が帰省するとよみがえるみたいです。
さて、よく知られている通り京都の夏は暑い!です。息子を散歩にでもと近くの公園に連れて行きましたが、太陽がとても近く感じられ、ずっと外にいるのが恐いくらいです。でもその分木陰は涼しく、風が少しでも吹けばまさに納涼といった感じです。そうそう、ちょっとした風で木々がサーッと音を立てるのが聞こえて、それもまた涼しくしてくれるんですよね。
また、何に追われるでもなくのんびりと過ごしていると、暑さにイライラすることも殆んどありませんでした。自然の気候を案外、素直に受け止めることができるもんだと、ちょっとした発見でした。やはり、気持ちの問題は大きいです。
まだまだ暑さと戦う日もありますが、こうやって戦わずに済むという方法もあって、それはまた暑さのことだけではないのかもしれません。
投稿者 肥塚 : 10:16
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2006年08月10日
東武東上線の車内。
イーオンの広告に「今年も後、3分の1」のコピー。またもや時の経つ速さに襲われてしまいました。今週末からは帰省が始まり、その後はもう夏の終わりが近づいてきます。
過酷な暑さを耐え切ると、少し物憂げになる秋そして年末と、わかってはいてもその時期になると時の速さに驚いてしまうのは何故なんでしょうかね。(何でこんなに時が経つのって遅いんだ!って言う人は面白すぎです。)
時、時刻というのは一日24時間、一年365日と決められていて、それは全ての人にとって共通です。(時計がない未開の生活でも、厳密でないにしてもやはり太陽や月、季節を目安にしていると思います。)しかし、個人の感覚では、時間の流れはいつも一定ではありません。寝ているときと、起きているときでは違いますし、何かに集中している時と誰かを待っている時では、一分一秒が短かったり長かったりします。何をしているかで流れには緩急ができるんですね。
そして、過ぎたことを振り返り、一概に皆が時の経つのを早いと感じる。たぶん、私達は自分の寿命という限りある時間が失われつつある事を常に意識しているんでしょうね。「砂時計の砂が落ちていくのを見ているよう」なんて、書いててとっても儚くなってきたじゃないですか!
ちょっと違った宣伝効果になったことなど知る由もないと思いますが、イーオンの坂口憲二は少し笑顔で少しまじめな顔つきでした。
そういえば、3月30日に「時の流れ」という題名で同じようなことを書いていました。私は砂時計を意識しすぎですね(笑)。
投稿者 肥塚 : 14:21
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2006年08月03日
2週間前の健康診断の結果が昨日郵送されてきました。
4,5年前に受けたのが最後で、そのときは異常がなかったのですが、今年30代後半を迎えたからだに同じ結果が出る保証はありません。むしろ何かしら異常が出る可能性が大きいにもかからず、祈りにも似た気持ちで封を開けました。
血液検査では、血糖値、中性脂肪、コレステロール、肝臓の数値、胃の萎縮度(胃がんのリスクがわかります)などが調べてあり、異常のある項目はありませんでした。
尿検査では腎機能がわかりますが、これも異常なし。
心電図、胸部レントゲンも異常なし。
結局、私のからだは36年間絶えず新陳代謝を繰り返し、エネルギーを摂取・消費しながらも、今回の診断項目の網にかかるほど劣化していないことが分かりました。
これはひとえに私の食事を支えてくれてる妻と、ストレスのない家庭と職場のおかげですね。
今の私達のからだは、単純に食生活と睡眠で維持できない環境にあります。社会不安から個人的コミュニケーション能力まで、ストレスが複雑な形でからだに影響するようになってきました。そして、それは今後ますます大きな関わりをもってくることが予想されます。
今回の健康診断の結果は「異常なし」。ホッとしたのは、自分の健康管理に不安があったからでもありますね。睡眠…自分の必要とするギリギリの時間まで起きて何かしてて、ともすれば不足しがちに。全てを振り捨てて早く床につける人は大物だと思いますが、そんな人はやっぱり健康なんでしょうね。
投稿者 肥塚 : 14:20
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2006年07月27日
「疲労」いうのは、ほとんどの人間が感じる自覚症状ですが、最近ではこの「疲労度」が異常に上がってきたように思われます。その原因として、労働時間の延長はもちろんのこと、精神的なストレスも時代に反映したものが様々な層にまで広がりを見せ、疲労というのは社会問題になってきています。
今や慢性疲労症候群という病名まであります。6ヶ月以上続いて生活を著しく損なわれるような強い疲労をいいます。微熱が続いたり、筋力低下や思考力、集中力の低下、また不眠などもひとつの症状になります。
病名があるということは病院での治療の対象となるのですが、しかし、日常生活の中で起こるこのエスカレートした疲労を改善する為には、必ず休息が必要となり、日常生活を続けながらにして改善を図るというのは非常に難しくなります。
また、私達のところにもその「慢性疲労症候群」らしき患者さんが見えるようになりました。どこともなく体全体がだるく、何とかして欲しいというほど深刻な疲れです。
病的なものとの境界線の幅がとても広く、客観的には判断しにくいだけに、「ただの」疲れとか疲れすぎという厳しい目に晒されてしまいがちです。しかし頑張ってなんとかなっているにしても、本人は不安で仕方がないというのが実状です。
この間見た新聞記事で、「唾液で疲労度を測定する」というものがありました。実験で残業のない会社員の方々と5時間以上の残業をしている方々の唾液を調べると、唾液中のあるウィルスが残業チームの方が明らかに多いのだそうです。
これまでは疲労物質とか筋肉中の乳酸だとかも言われてましたが、実際に測定して疲労を測るという目安にはなりませんでした。唾液ということで、簡単に疲労度が測れるようになると、生活に支障をきたす前に自己管理もしやすくなるのではと思います。
また、たくさんのデータを集めると、何がどれだけ人を疲れさせてしまうのか明らかになってくるでしょう。立ち仕事?デスクワーク?何業界?家事に育児に受験生。すべからくそこには関心が寄せられ、からだに対する見方も一変するかもしれませんね。
投稿者 肥塚 : 16:22
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2006年07月20日
普段は患者さんに偉そうなこと言ってる割には、私も腰痛とは縁が切れません。
いつもは無症状でも、年に一度はギックリ腰をやったりして3,4日程は苦しんでたりします。やってしまった当日は悲惨で、最寄り駅までの徒歩がいつもの倍かかります。患者さんにはばれないようにしますが、後日「実は…。」とお話しするのを聞いたことがあるかもしれません。
ぎっくり腰は、その急激な症状に至るような条件がいくつか重なって起こります。疲労、冷え、長時間の同一姿勢、お腹の調子、更には精神的なものまでと、条件はその人それぞれで違うのですが、必ず「なるべくしてなっている」フシがあります。私もいつも後から考えて、いくつかに気付き、反省はしているつもりなのですが、繰り返してるところが情けない!(実際、腰が痛くて力が入らないときって情けない気持ちになります。)
しかし最近、自分の骨盤の状況を知るよい機会がありました。休日、息子と一緒に畳の上で昼寝をしていると、骨盤が当たって痛いのです。仰向けで骨盤の中心の仙骨がとても固く当たっています。骨盤が固まっている!そういえば、ここのところ腰に何となく疲れが溜まった感じがしてた。そして、前回ギックリ腰やったのは…去年の夏…。
慌てて固まりへの対処法を始めました。仰向けのまま、骨盤の力を抜きます。無意識に力が入って固まっているはずなので、上手く力が抜ければとやってみたものの、痛い仙骨が更に痛くなります。痛めてしまいそうで、続けるには結構勇気が…。と思っているうちに、仙骨を中心に左右の骨盤が開いていく感じがしてきました。この感じが出てくればいいかもと、その日はそこで終えました。
それから、同じようにして3,4日続けていると日中の腰の疲れた感じというのがなくなってきました。非常に軽快です。徐々に何となく溜まってきていた疲れは、あまり意識されないんだという患者さんによく言ってることを実体験してしまいました。
また、少し異常を察知しながらも大丈夫と思いたい自分がいて、素直に受け止めていなかったんだとも思います。自分の体は一番自分が知る立場にいながらも、それをごまかしてしまうようでは予防はならないでしょう。性格の問題でもありますね、これは…。
投稿者 肥塚 : 17:45
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2006年07月13日
社会人にはあまり縁がない夏休み。でも、子供たちや学生さんたちにとっては待ち遠しい7月20日はもうすぐです。海に山に(今のお子さん達はこういう感じで遊ぶのか分かりませんが)思う存分満喫出来るといいですね。
患者さんには大学生の方もいらっしゃるのですが、休み前には試験があって、単位を取るために四苦八苦してる話なんかは聞いてて懐かしいですね。それまでの中学高校の試験とは違って、どんな試験なのかをいかに情報収集することが単位取得に必須だったことなど、今思うと厳しい社会の一面を味わってた気がします。
自分には夏休みがなくとも、それに関わる人も少なくありません。
幼稚園生や小学生など、小さなお子さんがいらっしゃるお母さんは夏休みの間、単に家事育児が増える以上に、1日1日相手しながら過ごすことが大変だったりすると言います。これはウチの近所のお母さんのお話でした。2歳の息子が通う幼稚園では、有料で夏期保育をやってくれていて、今ではすっかり幼稚園好きになった息子にはありがたいことです。
当たり前のように毎年あった夏休みも、いつしかないのが当たり前になり、あの時の膨大な時間を今使えたらとムシのいいことをよく思います。でも、今与えられてもあっという間に終わってしまうのでしょうね。
投稿者 肥塚 : 15:31
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2006年07月06日
2歳の息子が幼稚園から笹の葉に短冊つけて持って帰ってきました。
ひとつの短冊には、先生から「おおきくな~れ」と書いてあります。白紙の短冊2枚あり、父親、母親それぞれが書くようです。いざ短冊を目の前にすると、適当な言葉って浮かばないものですね。しばらく考え込んでしまいました。
「言葉がもう少し話せますように」「服の脱ぎ着が出来ますように」
妙に生々しく、親から子供に対してでなく、七夕様へのお願いみたいで却下。で、結局書いたのが、「友達いっぱい出来ますように」。
子供への思いというのは、ともすれば過剰になりがちという事に気付きました。生まれたときは、元気であってさえくれればという気持ちだけだったんですけどね・・・。
投稿者 肥塚 : 14:44
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2006年06月29日
ベスト8が出揃い、サッカーファンにはたまらないカードがめじろ押してる中、日本では早くも「終わってしまった」ワールドカップ。結果を惜しむ声もほぼ聞こえなくなりました。
しかし、これからの強豪国同士のハイレベルなサッカー見ると、どんな期待をジーコジャパンが背負っていたのかもよく分かるのではないかと思います。国の威信をかけて戦っているのはむしろサポーターの方ではないかと思うぐらいに気持ちが強い。選手はそれに後押しされる形で、これまた気持ちが強い。中田(英)が言ってた「気持ち」は、切り替わるものではなく、培われてきたものなのでしょう。
期待されている選手が期待以上のプレーをしてチームを勝利に導いた時、自国民のみならずテレビを観戦している他国の人々までもが称賛を送らずにはいられません。ましてやそれが後世にも語り継がれるスーパープレーなら…。
残念ながら、こんな興奮を日本代表で味わうことができなかったのですが、いつか世界が期待するサムライブルーが登場するという夢は少しづつ膨らんでいっていることでしょう。
投稿者 肥塚 : 15:38
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2006年06月22日
今夜(明朝)にあるブラジル戦ですが、サッカーの話題は来週にするとして。
家のポストに届けられるフリーペーパー「ぱど」に、花火大会の記事を見つけました。まだ、梅雨の真っ只中。でも、明けるまではあっという間なのでしょうね。
私の住む朝霞市も、毎年お祭りの時には花火があがります。近所であがるので、家のベランダやそばのスーパーマルエツの駐車場からもよく見えます。風向きの悪い時は、翌朝のベランダがススでうっすらとしています。
花火は日本文化であり、日本人のこころであると言われます。一発何十万円もすると聞いたことや、何千発とその規模の目安があったり、しかもなんと見るのはタダ!というそんな利益無視同然のイベントがこの時期に日本全国で行なわれているんですよね。
毎年、見れるのが当たり前で、一瞬で終わった後にはもう違うことを考えて、見る側の態度は全く文化的ではありませんが(私のことです)、そんな一瞬を今年も楽しみたいと思います。何だかサクラのときも同じようなこと言ってた気がしますが・・・。
投稿者 肥塚 : 20:17
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2006年06月15日
久々にショックを受けました。初戦大敗。
苦しんで苦しんで勝ち抜いた予選。本戦出場への長い道のりで見出した光に、後一歩で手が届こうとしたその瞬間、足元が崩れたという感じです。思わずお風呂の中でつぶやいたぼやきを、妻にも聞かれてしまうほど、隠し切れないものでしたね。
もちろん選手のことを思うと、6日後に試合があるという状況で気持ちを切り換えなければいけない大変さは、尋常ではないでしょう。本命の大学の不合格通知をもらった一週間後に、すべり止めの大学の受験があるなんていうと・・・。全然違います?
ともあれ外野は無責任に楽しむだけですので、選手達の強靭なメンタルに期待して、2戦目では勝利に酔いたいと思います。王ジャパン(WBC)は、奇跡が起こりましたしね。
投稿者 肥塚 : 18:29
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2006年06月08日
いよいよサッカーワールドカップですね。中・高時代にサッカー部だったこともあり、日本全体が徐々に盛り上がりを見せるこの頃に、嫌が応にも気分が高揚します。
ついこの間まで日本はサッカー後進国。前々回、98年フランス大会における悲願の本大会出場、前回の02年日韓大会では決勝トーナメント進出と、サッカーは着実に日本に広がっていっていることを示しました。
まだJリーグすらなかった私が高校生の時のことを考えると、日本代表が世界の舞台で戦う姿を見るのは勇気さえ与えてくれます。経済大国ニッポンという自負があっても、ワールドワイドではコンプレックスが拭いきれないのですが、それがまたワールドカップを盛り上げる要素となっているのではと思います。
海外のスーパースターには貧しい家庭出身の選手が数多くいます。彼らはボールひとつで成功してきました。もちろん一握りの人間ですが…。また、強豪国は豊かな国ばかりではありません。そういう意味で、サッカーにはその国の経済的な背景に左右されない国民のパワーというものを感じられます。
私自身のサッカーは遥か昔に終わっていて、今ではボールを蹴ることもまともに出来ないでしょうが、体力はそのときを基礎としているのは間違いなく、この仕事が続けられているのもそのおかげなんだと思います。
投稿者 肥塚 : 13:38
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2006年06月01日
今年の元旦にアップされた私の抱負に記したのは、「体を通じて幸せに…。」というものでした。
患者さんと向き合う仕事もこの春で丸8年になりましたが、ここにきて初めてうっすらと見えてきたそのイメージは、今年に限らず一生求めて続けていくものでしょう。
『健全な精神は健全な肉体に宿る』という言葉はあまりにも一般的過ぎて、言葉自体の重みというものがなくなっているように思います。またネットでも調べましたが、言葉の解釈は様々あり、作った人の本意が必ず私達の一般的な解釈とは違うみたいです。
それは置いといて、尚この言葉が一般的であるのには、やはり人間理解のひとつの鍵がそこにあるからでしょう。また、一度聞いたら忘れられない言葉の響きは、どこか人の心の深くに届くのでしょう。
私が掲げる抱負は、大それたことにマリアナ海溝のように深いこの言葉を実感しつつ、その感覚を患者さんと共有したいという一筋の希望ですね。
からだが良くなっていく時の患者さんの表情までが明るくなるのはもちろんのこと、今までになかった新たな感覚が出てくるとき、その喜びは・・・・感じた人にしか分からないのがもどかしいのですが、そのときに「幸せな感じしませんか?」というと、ウケます(笑)。
一方でどうにも浮かばれない人がいます。カルテには主訴以外に色々な体に関する自覚症状を書いてもらうのですが、この欄が埋まっている人は、病気とはまで言わないものの体の不快感を日常的に感じていて、そんな不快感がストレスとなってまた体へ影響するという悪循環になっていることが、もはや体に仕組まれたもののように思われます。
このように、今までは見えなかった体と精神のつながりが見えるようになり、より一層、体からこころへ響くような可能性を見出すようになったのです。
で、抱負がどれだけ達成されたかというと…。それは私の施術を受けている患者さんに厳しくご判断いただきたいと思います(笑)。
投稿者 肥塚 : 15:03
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2006年05月25日
昨日の関東は、季節はずれのカミナリと豪雨がニュースになるほどでした。
幸いにも休日の夕方を家で過ごしていたのですが、2歳半の息子は初めてカミナリに反応してました。空の上から響く大きな音に、『ただならぬもの』を感じたのでしょうか、「こわい、こわい!」としがみついて離れませんでした。もっと小さい時には全くの無関心だったのですが、『ただならぬもの』を感じるぐらいに成長したということなのでしょう。
現代だからこそカミナリも自然の電気現象ではありますが、『神様のお怒り』として畏れられてた時代もありました。さすがに大人がウチの息子のように恐がることもなかったと思いますが、当時は人智の及ばないものの前で、人ひとりの命がはかなく感じられていたのではないでしょうか。
現代日本で暮らしてる限り、日常的に生命を脅かされることというのはまずありません。そういえば、「近頃は地震がこわいなぁ」というのが去年ありましたね。それでも何千人が一度に死んでしまうことって想像に難いです。もしかするとそれは世の中が平和というよりも、生き死にに対する感覚が鈍ってきてるのかもしれません。
死がイメージが遠のき、命が保障されるようになった現代が、皮肉にも「生きにくい」と言われることがあります。自分の命の扱い方が分からないなんて、それこそバチが当たってしまいますね。
生き死にの意味すらまだ分からないであろうウチの息子は、昨日の轟音で脅かされた後でも、元気にはしゃいでいました。
投稿者 肥塚 : 10:55
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2006年05月18日
最近、お天気がスッキリしませんね。
GWは夏日になる日もあったのですが、その後はほとんど曇りか雨。しかも一日のうちで降ったり止んだり。「今日って予報雨って言っていってたっけ」と患者さんのお話からもよく聞きます。5月も半ばが過ぎ、このまま梅雨の季節に入ってしまうのでしょうか。
それにしても雨の時は気分まで晴れませんね。雨の前はからだの調子が悪くなるという話は良く聞きますが・・・。天気でからだや気分が左右されるのは、自律神経が影響を受けてしまうからです。とうより、地球という環境で何万年も生きてきた生物は、そこに適用するような仕組みになっているんですね。それに抗えると考えない方がよいのかもしれませんが、人間ですから大脳を働かせて気分の浮き沈みぐらいコントロールしたいものです。
意識の問題といえばそれまででしょうが、なかなか意識を変えることって難しいです。意識というのはそれぞれ個人が、その人の歴史の中で紡ぎ上げられたものです。だから例えば、二人同じものを見たとしても、同じ経験したことにはなりません。どういう印象を受けたかを聞けば分かります。それが同じになることがまずありません。客観的事実もその人のフィルターにかかるとすべては主観になります。
とすると、客観的事実というのはありえない!?
なんだか話があらぬ方向へそれていってしまいました。が、それぐらい意識というのはその個人そのもので変えるのは難しいということなんですね。最近はやりの「脳を鍛える・・・」で意識まで変われるという話はないのでしょうか。
何か少しでも雨が嬉しくなるようなことを探しています。
投稿者 肥塚 : 17:55
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2006年05月11日
GW中、インターネットを見ていると同じようなニュースが連日で出ていたので驚きました。
一つ目は、オーストラリアのある州。公立中学・高校の自動販売機でジュースの販売を禁止にしたそうです。翌日、今度はアメリカ。コカコーラやペプシなどが、小中学校での販売を3年後から全面自粛するというものでした。
どちらの国も肥満が社会問題となっていて、個人のコントロールでは歯止めが利かないという結果になってしまったといえます。オーストラリアでは、子供の3人に1人は一日にジュースを2本飲み、10人に1人は一日に1リットルも飲んでいるそうです。
この量を聞くと、私なんかはビックリしてしまうのですが、私が子供の頃はまだ今ほどの環境になかっただけかもしれません。どれだけ手の届く範囲であるか(環境)によって、個人の摂取量が増えていくのがここ数十年の傾向だったんですね。
日本でも、子供の肥満は進んでいますね。海外の問題も、対岸の火事ではないようです。当たり前のようにしている食生活。それを食べると著しく健康を害してしまう食品というものはありませんが、10年20年続けるうちにじわじわと蝕まれていくような食品に囲まれているのかもしれません。
投稿者 肥塚 : 09:26
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2006年04月27日
多くの男性がそうであるように(言い切ってしまった)、私もこれまで花というものに目が向いたことがありませんでした。いや、他男性を自分と一緒にしてはいけないぐらい、自分ではウトい方だと思っております。サクラも、寒~い冬を終わらせるイベントとしてのお花見を楽しんでいただけです。ハイ。
そんな私が最近、電車の吊り広告で目が行ってしまうのが花。これまで気付かなかったのか、花の写真はめちゃめちゃキレイなんです。コピーに『幻想』という言葉が入っていたりして、しばらくそこに引き込まれてしまうこともあります。今、東武東上線はライトアップされた藤棚ですね。満員電車も、こんなキレイな花の写真ひとつで空気が少し和んでいることと思います。
今、見頃なのは芝桜なんですね(これは知ってて普通ですか?)。テレビに映る秩父の羊山公園の風景に、2万人が詰め掛けているというニュースも今までは全く気に留めることがなかったのですが、この間それを見たときは「これちょっと見に行っとかなあかんのとちがうんか」(関西弁の微妙なニュアンスをご理解下さい)と思いました。
この花への関心は、何かに触発されて起こった一瞬で終わるマイブームというわけでないような気がします。明日誕生日を迎えて(書いてて今気付いた!)、30代後半にも突入する年齢が、次第にものの価値観を変えていっているのでしょう。もはや若い人たちからジジィと言われても、ニコニコしていられるのかもしれません。
身近で身の回りにあるものに気持ちが安らぐということに、意外と気付いてないものですね。花を愛でるという心は、私の生活のちょっとしたエッセンスになりそうです。
投稿者 肥塚 : 09:56
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2006年04月20日
中国から風に乗って日本にまで降る『黄砂』。そんな自然のスケールにも、今更目新しさはないのですが、今年はその『黄砂』が例年になく大量に降っているそうです。
東京タワーが霞んでいる映像が、全てその影響かどうか分かりませんが、患者さんの一人から京都で加茂川辺りが同じように霞んでいた話を聞いた後でしたので、やはり肉眼レヴェルで凄いのだと思います。気にしないとわからないのかもしれませんが・・・。(仕事がずっと室内なのでわからないのかも)
しかし、このニュースはそれだけで終わりません。黄砂の粒子は、花粉症の人にとってそれこそ肉眼視できるのではないかというこの時期のスギ花粉よりも何倍も小さく、アレルギー症状に影響がでる可能性に言及しました。
問題はまだ表面化していませんが、ディーゼル車の排気ガスも粒子の小ささが原因となっており、もしかすると何年もこの状態が続けば影響の出る人が出て来るという想像は頷けます。
しかし、アレルギー症状を精神的な影響とする説があり、また意識しただけでその病気になってしまうという話があり、日本的に言えば『病は気から』ですが、今の段階ならばあまりこのニュースは騒ぎになって欲しくないものです。何てったって、自然の事ですから。
投稿者 肥塚 : 11:35
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2006年04月13日
今朝、2歳の息子の初めての幼稚園でした。
自宅前に幼稚園バスが止まり、折りたたまれてたドアが開くと、中から先生の元気な明るい声。「おはようございまーす!」。妻がバスのステップまで息子の手を引き、乗るのを促すと、素直に3段あるステップを登って行きます。登りきるかきらないかのところで、もう一人の先生が息子を抱えあげて、座席に座らせました。
たくさんの園児たちに囲まれて、息子はきょとんとしてます。もう一人、お向かいさんのお子さんが慣れた様子で乗っていき、バスは走り出しました。バスの外にいる私と妻を見ても泣き出すことなく、何を見るともなくまだきょとんとして、バスが角を曲がっていくとき、こちらの方を手を振ることもなくじっと見ました。
親と子だけで過ごしてきた世界から、初めて外へ出て行くことの不安をおもんぱかると、少なからずともこちらの心も平穏ではいられません。『ドナドナ』という歌がどこからか聞こえてきたのも、まるっきり冗談でもありません。
外に行ってしまえば、何してるのかもさっぱり知れることもなければ、手を貸すことも出来ず、ただ見守るしか出来ないという親の気持ちは、またこれまで味わったことのないものですね。自分の事ならいざ知らず、息子へのこの気持ちは、思い入れの強さなのでしょう。得てして杞憂に終わるものとはわかりつつも、その場その場、感情に押し流されてしまうものなんですね。
今日は帰って、息子の様子を見るのが楽しみ。いや、不安?
投稿者 肥塚 : 09:40
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2006年04月06日
家の近所に美味しいお好み焼屋さんがあります。
歩いていけるこのお店。初めて入った時は全く味に期待をしていなかったのですが、食べてみてビックリ!都内で美味しいとされるお好み焼きと比べられるほど丁寧に作りこんであります。聞いてみると、ソースから生地からそのこだわりようは職人級。たかだかメリケン粉の塊(お店の人曰くです)の食べ物に、まずいうまいもありませんが、美味しいものはやっぱり美味しい。
関西人だから普段から常食してるわけでもなく、3ヶ月振りでした。店に入ると、常連のおばさんと思われる人が一人、食事しながらお店の方と談笑してました。私もその時は一人だったのですが、お店に入るなり、そのおばさんは私に向かって手招きしました。
奥の座敷におばさんと並んで座ると二言三言目しゃべっていると、お店の人が私が関西人だと言い当て、しかも京都ということまで暴かれてしましました。(もう10年も関東に住んでいるのに・・・)こういうときって、照れくさいながらも悪い気はしないものですね。そこからは、お好み焼に対する東西の違いで話題は盛り上がり、『文化』という言葉まで出てくる次元の高さ。気付くと2時間が経過してました。底なしにエネルギーがお好み焼に注がれるその場の空気は、トリノ以上に熱かったです。
お世辞にも繁盛してるとは言えないお好み焼屋さん。屋号を『美とん』といいます。メニュー表紙にあのブランドバッグの生地が使われているので、そこから来ているのだと思います。朝霞にお立ち寄りの際には、是非ご賞味下さい。
投稿者 肥塚 : 13:54
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2006年03月30日
桜を観にいきました。
近所に黒目川という小さな川があるのですが、その土手に桜並木が続いてて、この時期になると提灯が登場します。また、小さな川ではありますが、大きな鯉がいたり、街中では見ない鳥が見られたりで、結構楽しめる散歩コースです。
昨日は、桜もまだ満開ではありませんでした。(東京上野公園では、満開の映像が映っていましたね。)しかも、風が強く、寒々しい中では、花見客もまばらでした。近くに東洋大学朝霞キャンパスがあるのですが、そこの学生らしき数人が、肩をすぼめて宴会をしていました。
そういえば、私の大学時代も大阪城公園での花見が恒例になってて、昼間から場所取りしてました。天気の良いときは、ポカポカ暖かくて、ついこの間まで冬に凍えていたなんて忘れてしまいます。時の経過を今ほど感じてはなかったのですが、着実に四季を重ねていくのは、今も昔も変わりないんですね。最近は、どんどん時がたつのが早くなってる気がしています。
どこかで耳にした話ですが、
年齢を重ねていくと、時間が加速度的に早く感じるのだそうです。例えば、10歳の時の一年間はその人にとって10分の一の時間ですが、20歳になった時、一年間は20分の一、30歳になれば30分の一、というように一年間は生まれてから経過してきた時間の長さによって感じ方が違うということです。
なんと、私の一年間は大学生のあの頃よりも、2倍の速さで流れている!
それだけあの頃はのんびりしてたんだと、今だから思えるんですね。と、今を焦ってしまいそうなこんな話も、逆に、春の陽気が優しく包んでくれます。
投稿者 肥塚 : 13:53
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2006年03月23日
WBCで日本が優勝しました。
この2日間、メディアはその話題で持ちきりでしたね。王監督の胴上げ、優勝会見、ビールかけならぬシャンパンファイト、選手達の別れ、成田到着。サッカーワールドカップに負けず劣らず、最終的に国民の注目を集めたWBCでした。
僕も、イチロー選手の悔し(涙)から歓喜に踊る姿まで、どんどん引き込まれていった気がします。常に沈着冷静で平常心のその人が、開催決定から並々ならぬ意欲を見せ、語り、そしてプレーで魅せる。少し麻痺してたのでしょうか。改めてその凄さを思い知らされました。ともすれば、アメリカ人の方がイチローに対する畏敬の念は高いのではと、国民的英雄に今更ながら誇りを感じています。
最近のイチロー選手はかなりイメージが変わりました。このWBCを通しては、以前のメディア嫌いのイチローはどこへやらという感じです。
『上手い選手を集めれば勝てるというほど甘くない。チームがまとまらなければ、絶対に勝てない。』
今回、日本代表を表立って引っ張っていく姿勢は、能力的に突出したイチローが次に目指す存在感だったのだと思います。チームが勝たなければいけないと思ったとき、個人の能力だけではいかんともしがたいという思いが、自身をチームをまとめるムードメーカーへと変身させたのでしょう。
そして、そんなところをなりふり構わず魅せてくれたことに僕はとても感動したのでした。
投稿者 肥塚 : 17:19
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2006年03月16日
風邪をひいてしましました。このめまぐるしく変わる気候の変化に、体がついていききれなかったようです。
私自身、体には気をつけているほうで、頭の中の半分は体のことです(笑)。生活習慣もそうですが、普段の動き、立つ・歩く・座る・しゃがむ・寝る…などは、その場その場で自分がどうやってるのか無意識に感じています。
自分の姿勢・動作というのは、自分が思っている以上に癖があります。そしてその癖がと体は硬くしています。子供の頃はみんな柔らかいのに、だんだん硬くなっていきます。昔から硬かったという人も、もう既にその頃には、自分の体が出来上がっていたということです。えっ?子供の頃からそうだった?そんな人でも、物心つく前はそうでなかったはずですね。赤ちゃんが多分に漏れずふわふわしているのはご存知だと思います。物心ついたその頃には、すでに動作の癖が始まり、体は早くも硬くなりつつあるのです。
そんな頃の事までをいわれると、なんだかこの体の硬さはもうどう仕様のない(笑)ことみたいですが、実はそうではありません。これは自己形成と関わる話で、親子関係、友人関係を結んでいくのに必要なことだったといえば、全く根拠のない想像ではありません。世の中で生きるための精神構造を、その時々の環境の中で作り上げていく作業というのは本人にとってかなりキツいことだったはずです。
『枠にはめられる』ときには、動作も縮みます。正しい姿勢をとる為の、緊張と脱力のバランスが生まれません。小学生ぐらいのときって、とく『シャン』としなさい!と言われませんでしたか?それとも、背筋を伸ばしてっ!でしたでしょうか。子供って大人と接する時に、はにかんでふにゃふにゃした感じになりますよね?(大人でそんな風にしてたら気持ち悪いです。)世界が、家庭と周りの友人とに限られているからです。大人と接するだけの自分が出来上がるのはまだまだ先のこと。そうやって、その人なりの心と体を作りあげていくのです。
今の自分という心も体も、社会適応という修羅場をくぐり抜けてここまで出来上がってきました。しかし、ここからは生きている喜びみたいなものを実感していくことが人生を全うしていくことにつながります。生き生きとした自分は自分の中に必ずあるはずで、それを再発掘していくことが喜びなのかもしれません。
その一つの実践が『体を柔らかくする』というのは決してこじ付けではありません。座禅というのは『悟る』ための実践法です。結跏趺坐というあの足の形が出来るぐらい体が心が柔らかくなくては、悟りの境地に達することが出来ないのです。
座禅に限らず、『体を柔らかくする』為には身体感覚を育てないといけません。骨が筋肉が動く感覚をミリの世界にしていくことで、必ず体は変わってくるはずです。心の変化もそれだけ微妙なら、体もまた然りなのです。
ふうっ。今回は力みすぎました。そんなことより風邪を早く治せと患者さん達からお叱りを受けそうですね。今日は早く寝ます。
投稿者 肥塚 : 11:01
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2006年03月09日
休みの日に散歩中、近所の高校の前を通りかかると卒業式の看板が立ててありました。そういえば、袴の女性もちらほらと見かけます。そんな春の光景に、今は昔となった自分の卒業式を何となく思い出したりしています。
それまで四六時中というぐらいに友人達と一緒に過ごしていた日々が、卒業式を境に一変します。友人達がいなくなってしまうわけではありませんが、次に自分の過ごす場所にはいないんだということがとても寂しかったのを覚えています。その年頃の友人との関係は、とてもべったりしてたんですね。(男の場合だと、気持ち悪いですかね。)
後になってわかったことですが、卒業というのは単に学校を卒業するという以外に、その歳その歳で精神的に何かを卒業していくものだと思います。一つ一つ自分の世界が広がっていくと、世の中の仕組みや大人の人間関係にもまれて、徐々にうやむやになってしまうのですが、確かにその瞬間、何かを脱ぎ捨てているのではないでしょうか。
卒業式自体はいちイベントに過ぎないのですが、そこには目に見えない壁を乗り越える大変な作業なのだと思います。だから自分を懐かしみながら、それを迎えている人たちにエールを秘かに送ったりしています。
投稿者 肥塚 : 21:48
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2006年03月02日
3月になりました。気候も緩んできて、暖房器具が飛ぶように売れたのも今では過去の事になりました。そんなこともあったかなというぐらいに前のことのように感じられます。マフラーもはずして、コートも脱いで、街の装いも春物に目に付くようなりました。
心も身体も春が待ち遠しかったのか、どこか嬉しい気持ちになります。この冬は特に寒さが厳しかったので、余計ににそう感じるのかもしれません。
この春の喜びはどんな人でも共通のものですね。(花粉症の人やイヤな思い出のある方すみません。)これはやはり、先祖代々四季になじんできた記憶が身体の中にあるからでしょう。いや、人だけでなく動物や植物、虫たちまでもが冬の厳しさに絶え、春には生き生きとしてくる。あらゆる生命にとって春は待ち望まれるものなんですね。
感じるといえば、外部からの刺激を受け取るという客観的なものように思えますが、五感の中でも広く皆に共有できるのは視覚と聴覚。ルクスとかホンとか単位があるほどです。この感覚が異常だと病院でも詳しい検査が可能です。しかし、臭いや味はどうでしょう。何となく同じありながら、人によって違いが出てきそうです。熱い・冷たい・痛いの皮膚感覚に至っては、かなりその人なりのものという感じがしますね。
とすれば感覚というのは、実は恣意的であり主観的なもの。それまでの自分が積み重ねてきた記憶をもとに感じているのでしょう。春が好きな人も嫌いな人も、それは自分の記憶。生命としての記憶の上に、上塗りされているんですね。
投稿者 肥塚 : 15:37
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2006年02月23日
2月初めにスキーに行ってきました。大学の同好会で始めたスキーですが、最近は年1回になってしまいました。
もう10年以上、当時の非常に長いスキーを手放さなかったのですが、しかし体力的に乗りこなすのがとても大変になってきていました。去年からカービングスキーというものを初めて履いたのですが、その扱いやすさに自分の技術が蘇る思いでした。腕前は錯覚であっても、風切る快感は本物。日常にはない無重力感は、まるで空を飛んでる気分なんですよ。
現役時の自分の滑りのイメージがあって、もちろんそこからは程遠く離れてしまっています。自分の出せる限界のスピードで滑っていて、その先に不意に現れるギャップへ向かう時、アドレナリンが大量に出て、イケイケだった自分がいました(笑)。今では、まさに『過去の栄光』ですね。
最近では、スキー自体が気分が晴れるほど楽しくなくなり、友人達との懇親の場となりつつあったのですが、カービングスキーがまた光を当ててくれました。
トリノオリンピックを見てて、そういえば大学時代に名前を良く聞いた選手がまだ出てました。スキーというスポーツは息が長い!まだまだこれからも技術は磨いていける。そんな風に思えた今年のスキーでした。
投稿者 肥塚 : 18:01
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2006年02月18日
いつになくオリンピックに釘付けです。
衛星放送じゃありませんが、地上波の『LIVE』という表示を信じて見ています。同じ時刻に遠く離れたトリノで起こってる熱狂が伝わってくるようで、それが日本人選手の活躍でなくてもスポーツに賭ける魂は共通のもの。表彰台に輝いた選手のそこに至るまでのプロセスを想像すると、それだけで自分も励まされます。もしかすると、報われる努力というのを見たいだけなのかもと、それだけに終わらないようにと日々の精進につなげていきたいと思います。
因みに、岡崎朋美選手が一番見ごたえがありました。500M2本の合計タイムで争い、一本目が3位。前日の男子では、1本目の1位から15位までがそのまま2本目の順位となったように、百分の一秒レベルの差がとても大きい競技。この時点では、メダルの可能性がかなり大きかったのです。そして2本目。他の選手が大体一本目よりタイムを伸ばしてくる中で、岡崎選手は一本目と同タイム。滑り終えたときは4位でした。一人の中国の選手に抜かれてしまってました。しかしその後の組、一本目に1位と2位だった選手はそれぞれタイムを落としていたのです。
①自分のタイムを伸ばすこと。②他の選手がタイムを落とすこと。そのどちらかがあってもメダルを手にすることが出来たはず。しかし、スケートの神様はそんなストーリーにはしなかったんですね。
と、どれだけ岡崎選手が惜しかったという話でした(笑)。新聞やテレビの見出しの0.05秒は、実際これぐらいの悔しーい思いが詰まっているんですよね。
投稿者 肥塚 : 21:32
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2006年02月09日
2,3日前に見たニュースの中で、『修理』横文字でいうところの『repair』が紹介されていました。
最近、靴や鞄などを修理して長く使うという人が増えています。服に比べて流行りすたりが少なく、良いものを購入するのですが、何年か経つとほころびが目立ち始めます。古さはモノの味とはいうものの、やはり気になります。そんなときに『修理』を施すと、新品ほどにはなりませんが見違えるようになります。修理して使うというモノへの愛着は、これまでの大量消費から変わる消費者心理のようです。
モノへのこだわり以外にも、消費者心理は変わりつつあります。出来るだけゴミを出さないという環境への配慮、男性のファッションやおしゃれの感覚の変化、またいつか記事でも取り上げたロハスという感覚は、なんとなくつながっているようにも見えます。人の価値観は、「単純にお金だけでは満たされない」という方向に向かいつつあるのでしょうか。
この『修理』は、体にも向けることができます。モノも体も壊れてしまえば使い物になりません。体が壊れると、病院のお世話になり、日常生活が送れなくなることもあります。それは誰もが避けたいことです。
しかし、時間の経過と共に劣化(老化)は免れ得ないものです。ただ、靴が修理して使えば長持ちするように、体もその時々で適切に手を入れていけば、病気のリスクもかなり減らせます。
ここで大事なのは、愛着やこだわりです。自分の体を良い状態にしておこうという気持ちを持つだけでも、その人の体は変わっていきます。それはモノと体が大きく違うところです。歳を重ねるにしたがって、歳は同じなのに老化の程度が違うというのは、体への愛着が大きく影響しているからなのです。
「体が資本」というステレオタイプの言葉も、「壊れないように、修理しながら使う」というとなんとなく意味が伝わってきませんか?
投稿者 肥塚 : 21:14
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2006年02月02日
いつか読んだ本に、こんな問いかけがありました。普通の人ならば、生活していくために仕事をしなければなりません。会社勤めに限らず、家庭を預かる家事労働も仕事ですし、子供の勉強も運動も社会で適応するための仕事であるといえるでしょう。「赤ちゃんは泣くのが仕事」といいます。みんな何かしら自分の仕事があります。
しかし、仕事を自分のなすべきこととして納得して出来ているかというと、中々そうとは言えない現実があります。例えば、仕事には常に困難が付きまといます。至らない能力、異なるタイプとの人間関係、個を押さえつける制度・システム。そのたびに、「これでいいのだろうか」という不安にかられます。
『それはあなたの仕事ですか?』
この問いは、そんな不安を更に具体的に考えさせられます。
この何者かからの、もしくは自分からの問い掛けに、自分は更に不安になるでしょうか。それとも自分の仕事をはっきり確認することができ、不安は軽減するでしょうか。
いずれにしても、今やっている仕事で悩んだ時、一歩ひいて違う角度で自分を見るということで、答えにはならなくとも答えにつながる何かが見えてくるのでしょう。
かく言う私の中にも、常にこの声が聞こえているんです。(危なっっ!)。
投稿者 肥塚 : 16:48
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2006年01月26日
2歳の息子が先週の土曜日から熱を出しました。東京で一日中雪が降っていた日でした。
午前中はいつもどおりの様子から、昼ごはんを食べた後、いきなり吐いてしまい様子がおかしくなったそうです。(私は仕事でしたので電話で連絡を受けました。)ここ数年、胃腸に来る風邪が多く、例のノロウィルスなのだろうと思っていました。夜、眠りも浅く、ちょっとしてはぐずって泣いていました。
日曜日にお医者さんに連れて行きました。いつものかかりつけの所が休診日だったので、他のところへ行ったのですが、やはり風邪という診断でした。ところが…。
その後、熱は治まってきたのですが、まだなんとなく調子の悪そうな感じが続いていました。火曜日の夜、着替えさせてたときです。体中に発疹が出ているのを見つけました。風邪じゃない?!終息していくと思われたものが、予期せぬ方向に進んでいることに気付き、とても不安になりました。
翌日。昨日になりますが、かかりつけのお医者さんに連れて行きました。ここの先生は症状の経過を細かく聞き、色んな可能性を考えながら診断してくれる私もとても信頼している先生です。
『単発で終わった嘔吐から、ウィルス性胃腸炎というより熱が急に上がった為という可能性が強い。熱が下がった後に出る発疹は、乳幼児の突発性発疹の特徴であること。2歳でも数パーセントいる。』
突発性発疹は去年の夏にあったものの非常に軽く済んでるので、ただのあせもかもという記述がカルテに残っていました。昨日の夜もかなり早くから寝てしまい、今朝もまだ調子悪そうにしていますが、とりあえず心配がなくなり、ほっとしています。
投稿者 肥塚 : 21:34
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2006年01月19日
2歳の息子のおもちゃが増え、それらが地べたに散乱しているので、収納棚を大きなものに買い換えました。もともとの棚には電話やミニコンポ、本なども収まっていたので、整理しながら移し変えていると、長い間その存在が気になりながらもほったらかしにしていた『10年日記』にも触れることとなりました。
30歳の年に買ったその日記帳は、A4サイズのハードカバーでかなり気合の入ったものです。見開き片側に4行で一日枠が10段。それが365頁。一つのページには上から10年間の同じ日が記されます。
もうどれぐらい続いたのかも忘れていましたが、ほとんどの頁で2段は記されていましたから、2年は続いていたわけですね。今年はもう6段目を書いているはずだったのですが…。
書いている内容からは、今の自分と違う自分が感じられます。そんな自分が懐かしいと思うのは、時間の経過からだけではなく、家族に囲まれた今と違って独身だったということもあると思います。生活がガラッと変わってしまいましたからね。生活環境が変わると人も変わっていくのでしょうね。
日記はこの先5年間のスペースがあります。これまでの5年間から次の5年間へ。このタイミングで手に取ったのも何かの偶然でしょうか。「じゃあ頑張って書こうか!」という気になったかといえば、そうでもないんですが、今の状況や心境は多分5年後にはないものでしょうから、それは残ししていきたいと思います。
投稿者 肥塚 : 18:13
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2006年01月12日
年明けいつだったか、新聞にスピードスケートの清水宏保選手の記事が載っていました。
前回のオリンピック頃から、現役選手としてだけでなく後輩を育ててみたいという思いがあったそうです。そんなときに出会った加藤条治選手は当時まだ高校生。しかし、清水選手はその素質を見事に見抜きました。
ある二つのことがそのポイントとなったそうです。一つは『4人兄弟の末っ子』。もう一つは『球技が苦手』ということ。スピードスケートには結びつきそうにもないこの二つですが、清水選手の中では大きな要素でした。
まず、末っ子というのは吸収する力が強い。今は小さな芽でしかなくても、環境次第で伸びていくということ。そして、球技という上半身を主に使うことが苦手な人は、その分下半身に神経が集中しやすいということだそうです。
これにはとても驚きました。確かに人の動作というのは上半身型と下半身型に分けることができます。その結果、病むところが決まってきます。肩こりの人か腰痛の人か。両方あるという方も主につらい側があるはずです。動作は神経の配分で、球技が苦手な人の下半身には神経が集中しやすいということは、とても理にかなった考え方だと思います。
その後、すぐに加藤選手は頭角を現し、清水選手の世界記録を塗り替えてしまったのです。
人を見抜く目。もちろん一流であるからこそ、そこに至れる素質も見えることだと思いますが、その人の性格はもちろん、その人が形成された背景やプロセスなど、細やかに観察していくことがその目となっていくことなのでしょう。
投稿者 肥塚 : 22:05
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2006年01月05日
新年あけましておめでとうございます。曜日で担当者が決まっているこのブログ。私が2006年のトップを飾ることになりました。つたないながらも今年も頑張りますので、みなさん宜しくお願い致します!
さてこの冬休み、私は妻と2歳になった子供をつれて京都の実家に帰っていました。『底冷え』というように、京都の冬は寒いので有名なのですが、今年のお正月の間はそこまで感じられず拍子抜けでした。それでも、関東の風による体感温度で寒いのと違って、空気がひんやりする感じは独特で、懐かしく思えます。
初詣は実家近くの神社に行きました。大晦日の夜はみんなで話し込んでたのですが、いつもはそんな時間には寝てしまっている父が何を思ったのか初詣を提案。時間は2時になろうとしてました。もうそろそろ寝ようかというときでしたから、妻と母はあっさりパス。私だけがついていくことになりました。
地元の小さな神社で、御参りに来ている人がぱらぱらいます。空気が冷たく身が引き締まり、物静かな雰囲気の中で父と私は手を合わせました。思えば父とこうして初詣に来るのも何年ぶりのことでしょうか…。
家族というと以前はこの父や母でしたが、今は妻や息子が先に出てきます。でもこの時、子供としての自分になっていることに気付きました。当たり前のことなのですが、それがはっきりと感じられる瞬間でした。
今年もまた一年が始まります。私には沢山の絆があり、支えあいながら過ごしているということを大事にしていきたいと思います。
投稿者 肥塚 : 18:11
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2005年12月22日
年内は28日水曜日までなので、私が書くのも今年はこれが最後となりました。
今年は私自身どんな変化があったのか。年末になると焦燥感に駆られます。そんな私を尻目に、今週2歳になる息子はどんなに成長したことでしょうか。
さすがに身長・体重は一歳になるまでのようにはなりませんが(なってたら3倍近くになり怖いです)、ヨチヨチ歩いていたのが、公園のアスレチックジムで遊ぶようになりました。そして言葉がわかるようになってきました。
「いってらっしゃーい!」「お帰りー!」、母親をまねして言います。テレビを近くで見ている彼に、「バック、バック!」と言うとテレビから目を離さずに後ずさりしていきます。
子供の成長にして特別なことではないのですが、目の前で週替わりに起こる変化を見ると、思わず目を見張らずにはいられません。そして、そんな変貌を遂げ、追いついてくる彼を見て、父親としての役割は今の自分で十分なのかと考えると、到底YESと答えられないのです。
仕事をする自分と父親たる自分は別々の人間ではなく、突き詰めれば目指すことは同じなのでしょう。でも、いつもそれを意識しているから焦る気持ちが出てくるのでしょうね。今年1年で出来るほど、簡単ではないのですから…。
来年は2006年。何かとスポーツに感動をもらってる私は、ドイツに釘づけとなってるでしょう。
投稿者 肥塚 : 22:09
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2005年12月15日
ここ最近、冷え込みがグッと強まりましたね。それまでの寒さに冷たさが加わってくると、もう本格的に冬って感じです。
この冷え込みは、私にとってはスキーシーズン到来のサイン。嬉しさを全身で感じる贅沢な瞬間といってもいいかもしれません。
冬嫌いだった私が、何かその季節に楽しいことがあればと思って大学から始めたスキー。今では年に1回ぐらいしか行くことはなくなりましたが、それでも毎年この時期になると、授業最終日の夜行バスから始まる合宿を思い出して、妙に胸が高まります。
2,3日前、自宅でメールチェックしていると見慣れない送信者からのメール。それは大学の間、合宿の合間を縫ってアルバイトさせてもらってたレストランの方からでした。今シーズンに向けて、ホームページが出来上がったとの事。ログハウスが手作りなら、ホームページも手作り?で、その場の温かい空気がじんわりと伝わってきます。
マスターと奥さんのお二人は、仕事が出来ない気が利かない融通も利かないと、ないないづくしの当時の私を、住み込みで世話してくれてました。時間が経てば経つほどその恩は身にしみてきます。
だからなのでしょうね。寒くなればなるほど気持ちが温かくなるのは。
今年の冬は寒くなりそうです。

投稿者 肥塚 : 16:32
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2005年12月08日
12月に入って、いよいよ気ぜわしくなってきました。と、感じるようになって来たのはここ数年。それまでは、気ままな一人暮らしで12月もあまり他の月と変わらなかったんですね。
私は大学を卒業後、会社員になり東京配属で上京してきました。そのときは会社の寮に入っていて、基本的には一人暮らしでしたが、キッチン・トイレ・お風呂が共同の建物で、先輩の方々とにぎやかに住んでいました。
4年勤めた後、この仕事を始め、寮生活から本格的に一人暮らしになりました。最初の頃は、ドア隔てたすぐ外に人の気配が感じられるのが、とても怖かったという印象があります。今はそれも当たり前の話なのですが、実家にいたときや寮では感じられなかったんですね。
しかしそんなことにはすぐ慣れ、狭いワンルームは最高の根城でした。部屋が狭くならないようにソファーベッドを買ったのに、結局ベッドにしっぱなし。そこに腰掛けていると、殆んど動かなくてもすべてに手が届く便利さ。掃除・炊事・洗濯も必要最低限で済みます。いつしか、人には見せられないような生活ぶりになっていきました。
そんな生活が更に4年も続くと、家族という同じ空間に常に人を感じる生活に戻ったとき、少々戸惑いを感じていたのでした。そして子供が出来ると果たす役割も一気に変わり、一人暮らしの気ままな感覚はほぼ消滅してしまったのです。
それまでも家族で生活することの方が長く、私にとっては一人暮らしは特別な期間でした。今はもう、懐かしいぐらい過去の記憶となっています。
気ぜわしいこの時期に、なぜかふと思い出してしましました。
投稿者 肥塚 : 17:35
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2005年12月01日
そういえば、毎週こうやってブログを書くようになってから、早や半年以上経ちました。
何かを改めて文章として記していく事の難しさがある反面、苦労しながらも自分を表現する楽しさのようなものもあります。今年になってからブロガーが爆発的に増えたとのこと。何か自分を訴えたり、普段とは違う別の顔を見せたりするということが、どこか欲求を昇華させることにつながっていくのでしょうか。他人に向けて発信する。そこに同じように記す日記とブログの違いはありますが・・・。
僕の最初の方の記事を見ると、書くことに慣れていなくてぎこちなくなっているのが分かります。気負いすぎてたのでしょうか。また、文章にはその人の特徴が表れるもので、印象を変えようとしてもなかなか難しいところがあります。たとえば、カラオケで歌うときにも、人それぞれ自分の歌い方があって、それと違った感じで歌えって言われてもよく分かりませんよね。言葉にしても文章にしても、その人から出てくるものはその人そのものなのでしょう。
それから、今年もあと一ヶ月を残すこととなりましたが、ブログを書くことで何らか自分の行動を整理してたようで、振り返って「何やってたんだっけ」と足跡がすっかり失われてしまうなんてことがない気がします。前の年と今年を比べて、別段変わったことがあったわけではないのですが、その時その時の感じたことを大事に出来たのだと思います。
「おとこもすなるにきというものを・・・。」なんとなくわかったようです。
投稿者 肥塚 : 21:36
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2005年11月24日
日曜日午前11時、戸田市彩湖グリーンパークで行われた市民マラソンのスタートライン上に私も立っていました。この時期にしては少し寒空でしたが天気はよく、絶好のマラソン日和となりました。
その日起床は5時。スタートの6時間前に起きておかないと、体が動きません。普段はそんな時間に起きることはなく、横で寝ている息子を起こさないように携帯のぶるぶるだけをセットして、起きれるかどうか心配でしたが緊張もあったのでしょうか、すんなりと目は覚めました。
すぐに散歩に出掛けます。まだ真っ暗でかなり冷え込むなか、ぶらぶらと一時間ぐらい歩いたでしょうか。ようやく辺りがうっすらと明るくなっていました。
この戸田マラソンは、毎年、東京国際マラソンと日程が重なります。2年前、Qちゃんこと高橋尚子さんが終盤、逆転負けを喫し、アテネオリンピックの出場を決められなかった時も、私は戸田で走っていました。このときの気温は異常に高く、終わった後に脱水症状に見舞われたレースでした。
そして、今年・・・。Qちゃんは再び注目を浴び、しかし今回は本当に復活できるのかという危惧が多い中、見事に優勝を飾りました。そのドラマチックには、本当に感動させられましたね。
えっ?私の結果ですか?
ドラマはスターにしか起きないものですね。いたって平凡な結果に終わりましたよ(笑)。
投稿者 肥塚 : 16:47
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2005年11月17日
日常生活は淡々と流れていくのですが、一瞬何かに心奪われて時間が止まることがたまにはあるものですね。
昨日のことです。夕方5時半ごろでしょうか。最近はとても日が落ちるのが早く、既に辺りは暗く、わずかに地上に近い部分がうっすらとしています。
と、そこに目に飛び込んできたのは、なにやら大きな黄色く光る丸いもの。ネオンの一部にしてはあまりにも大きく地味で、遠くに見えるビル郡に混じって、その少し上にお好み焼きをひっくり返したような感じです。
「満月の今日は・・・」昼間のラジオで言ってたことが頭によぎり、初めて気付いたのでした。夜中、よく空の高いところで見るのとはかなり違います。それは、誰の目からも見えるものであるにも関わらず、私だけがビックリしてる気がして不思議でした。
あまりにも突然のことで、どこか自分が別の世界にワープして、周りから切り取られてしまっている感じがしました。まさに心ここにあらずでしたね(笑)。
投稿者 肥塚 : 16:32
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2005年11月10日
約70%の人が一生のうちに経験すると言われている腰痛。ある疫学調査によれば一年間に大人のの45%が腰痛を経験し、15~20%が治療を受けているそうです。また腰痛は、病気で仕事ができない原因のトップに挙げられています。
これまでにも腰痛は研究され、対策や予防方法が講じられてきましたが、この腰痛が減ったという話を聞いたことはありません。もともと二足歩行の宿命といわれるほどにその根は深いと思われますが、最近テレビを見ていて、腰痛への認識が徐々に変わってきていることに気付きました。
以前はレントゲンで腰椎の状態から、椎間板ヘルニアがあるか、ない場合には椎間板が薄くなっていて、骨と骨の間が狭くなっていて神経を圧迫しているという話が一般的でした。
しかし昨日の『ためしてガッテン』という番組では、『背骨周りの筋肉の異常な緊張』ということに注目していました。ギックリ腰になった直後の腰椎のレントゲンを見ると、正常なら前弯といわれる前方へのカーブがあるところ、それがまっすぐに伸びてしまっていたのです。それが、周囲の筋肉の緊張によって起こるということでした。
また、我が家ではNHKの朝の連続ドラマをみているのですが、その後にある番組で腰痛が取り上げられ、整形外科の先生が精神的ストレスが深く関わっているとおっしゃっていました。骨の専門である整形外科の先生が、ストレスに原因を求めないといけないぐらいに、腰痛がいかに不可解であるかが分かる場面でした。
私が患者さんを見ていても、その状態は本当に様々です。経過が芳しくない時に、その人の生活の深いところまで理解して対処していくと、思いがけずに良くなったりすることもあります。
体の構成や構造は、みんな同じなのですが、壊れた時の機械のように一様に直せるものではないのですね。
投稿者 肥塚 : 17:52
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2005年10月27日
今朝、いつもより妻に早く起こされました。電子レンジがおかしいとのこと。音が普段の感じと違い、中のものが全く加熱されません。妻は朝食とお弁当の用意を妨げられたことにイライラしているのか、色々なボタンを押しているのですが、使うのを諦めました。(他の電化製品と違って、電子レンジが壊れると怖い感じがするのは、僕だけでしょうか?)家庭の食卓において、どれだけ電子レンジが活躍しているのか良くわかりました。
同時に、家の中にあるものは、急に使えなくなってしまうととても困ってしまうものがあると気付かされました。冷蔵庫。知らない間に止まっていては、中がダメになってしまいます。エアコン。夏場は死にそう!それらは、動いていることが当り前になっているので、普段は気付かないんですね。
最近は何かと地震の話題が多いので、ライフラインが止まったらという想像する頭はありましたが・・・。電化製品に関しては、そこまで切迫することではありませんが、修理するまでの間や、新しいものを購入するまでの間(すぐに行ければいいのですが)も、非常時となってしまうんですね。
投稿者 肥塚 : 16:46
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2005年10月20日
人間の祖先がサルだというのは、よく知られている話ですが、それではサルのもっともっと昔は何だったのでしょう?
進化の過程を考えると、魚が地殻変動により陸に打ち上げられると、両生類にそして爬虫類になります。そこから、あるものは飛び(鳥類)あるものは子孫繁栄のために子供をおなかの中で育てるようになります。どこからかその分岐点があり、その分岐したところからそれぞれが悠久の時を経て進化してきたものが、現在の地球で見られる生物となります。
つまり、現在地球に存在する生物というのは、すべて元をたどれば同じものだということになります。それは植物も例外ではありません。動物も植物も、元々は共通する一個の細胞から始まったんですね。30億年前の話ですが。
元々は一個の細胞…。よく考えると、私達が生まれるとき、一個の細胞(受精卵)から始まっているんですよね。そして、最終的に60兆個の細胞の集まりにまで成長します。よく、赤ちゃんはおなかの中で進化の過程をたどるんだという話がありますが、そんなところからきてるんですね。
投稿者 肥塚 : 17:48
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2005年10月13日
癒しブームは依然衰えを知らず、最近では爬虫類に癒される人達が増えているそうですね。怖い、気味が悪いものの代表に上がると思われる爬虫類にまで求めてしまうほど癒しの需要が高まっているのでしょう。
ところで、私は何に癒されているのでしょう。それを必要と感じていないからといって、癒されていないわけではないと思いますので、敢えて考えてみました。
まず、家の周りの環境に癒されてるナーと思います。近くを流れる小さな川、土手からみえる魚。つり橋からは遠くの景色が見えます。今の季節なら畑から聞こえる虫の声。ベランダから見える月。風呂上りのほてりを冷ましながら、ぼーっと眺めるのが好きです。
それから、患者さんから癒されるって事もあるんですよ。苦痛でゆがんでた顔が笑顔になるとき、それまでの疲労感が一気に癒されていきます。これでもって、この重労働にも耐えていけてるような気がします。
また、やっぱり息子の寝顔ですかね。起きてる時は、食事に着替えにトイレにと、手を焼かされるばかりですが、お地蔵さんのような寝顔には何もかもが許せてしまうんですね。
バブル経済崩壊以降、10年そこそこの間に、世の中は想像以上に変化したのでしょう。仕事に家庭に大人は疲れきっているし、また子供も精神的にまいっています。癒しがここまで求められるのは、その現れなのでしょうね。ちなみに、私には蛇はムリです。
投稿者 肥塚 : 12:52
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2005年10月06日
昨日、新聞・TVで同じ業界での事件が相次いで報道されました。事件自体は今までにもなかったわけでなく、ご覧になった方々は、「やっぱり!」「またか!」というような印象を受けられた方も少なくないと思います。しかし、やはり私達にとってはなんとも言えない後味の悪さを残しています。
私達の仕事が成り立っているのは、患者さん・お客さんの体を任せるという信用が前提となっています。もし銀行に預けたお金が時々トラブルで減ってしまうことがあったなら、銀行は成り立たなくなります。同じように、患者さん・お客さんから体をゆだねられるだけの信用を得ることが出来なければ、日々培っている技術や知識の生かす場所を失ってしまうかもしれません。
また、この仕事というのは、医療の範囲に関わるサービス業ですが、鍼灸師やマッサージ師のような国家資格とは違って、それぞれの民間の団体が承認するものです。整体師というある程度の認知を得ているものは、国家資格だと思われている人も少なくありませんが、今回のようなトラブルが出てくると、ある程度認知を得ているからこそ、なんとなく裏切られた感じが余計に波風立ててしまうこともあります。
もし私が患者さんや・お客さんとなって、実際に初めて会う人の前で軽装に着替えて横たわることを想像すると、かなり緊張を強いられるでしょうね。(私も緊張しィなので。)そんな特殊ともいえる状況で、だからこそ私達のなすべき仕事というのは、単に技術や知識や提供だけでなく、どんな人とも円滑にコミュニケーションしうる人間性であると私は思うのですが・・・。
投稿者 肥塚 : 14:20
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2005年09月30日
祝・阪神タイガース優勝!
アウェイである東京で、しかもこんな仕事に関わるブログで、ふさわしくない話題と思いながら、歓喜に耐えられずカミングアウトしてしまいました。
タイガースファンの皆様、ひとまずお疲れ様でした。(日本シリーズありますからね)前回2年前、星野監督の優勝の時ほど話題性はありませんが、すでにタイガースも弱小の汚名が返上されているのでしょう。
大阪ではいたるところで大騒ぎだったのでしょうね。池袋はいたっていつもの様子でしたが…。高揚する心をよそに、僕だけが街の雰囲気からは浮いてる感じでした。家に帰って、恒例のビールかけをテレビで見ながら、勝利の美酒に酔いしれていました。
投稿者 肥塚 : 16:25
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2005年09月22日
後藤田正晴という元政治家が亡くなりました。その明快な論理と鋭い舌鋒は「カミソリ」と異名が付くほどでした。しかし、官僚から政治家になった頃から、「人間は理屈で割り切れない」ことを痛切したといいます。
彼が残した『情と理』という回顧録のタイトルは、「カミソリ」にして解析し得なかった人間の複雑さを表しているのでしょう。
情は心、理は頭とそれぞれ対応します。心で感じることと、頭で考えることとは基本的に異なるということです。好き嫌いは心で感じ、善し悪しは頭で判断します。何かに悩んだ時には、自分の中で天使と悪魔が戦います。
僕の若かりし頃、恋愛で悩んでいると「考えすぎ。頭で恋愛したらアカン。」と友人に言われました。余計な話しですが…。
さて、頭は脳のことですが、心も脳にあるのではないのでしょうか?いいえ、心は脳にありません。その名の通り、心は心臓にあります。いまだその拍動がなぜ始まるのか分からないという心臓を中心として、内臓は意思に関係なく自律的な営みをしています。リズムを持った自律的な営み、まさにそのものが心なのです。
心と体が切り離せないというのもそこにあります。
この間、妻の実家に行ったとき、格言カレンダーの9月に書いてあったのは、「人間の悪いところは、物事の善し悪しを、好き嫌いで判断してしまうところだ。」・・・・・身につまされます。
投稿者 肥塚 : 13:54
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2005年09月15日
皆さんは携帯のメールはどれぐらいの時間で返信していますか?
それは、仕事とプライベートで違ってくるでしょう。また、仕事の相手、社内なのか社外なのかでも違うでしょうし、プライベートの相手によっても返信の時間は違っていると思います。それは、一見、自分の判断で決めているように思えます。
しかし、仕事でその日のうちに返信しないといけないメールが何十通も来たり、その日中ならまだしも、「何時間以内には返信しないと」という感覚なら、これは自分の判断というより一定の拘束力がかかってます。
プライベートでも、中高生を中心に友達とのメールは『即レス』が基本で、携帯電話が手放せないというのは極端なことではありません。友人関係を保つためにメールを打ち続ける作業は、深夜まで及んでいることでしょう。
中高生は中高生で、社会人は社会人で、時間・場所に関係なく送られてくる携帯メールに逃げられない状況になってきている。このことに負担を感じているかたも少なくないでしょうし、またそのストレスに感覚はすでに麻痺してるのかもしれません。
体の歪みとは、脳の疲労と無関係ではありません。無自覚にすり減らされた神経が、体への悪影響になっていることは、最近やってくる患者さんに多く見られることなのです。
投稿者 肥塚 : 21:16
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2005年09月08日
最近、LOHAS(ロハス)という言葉をところどころで耳にするようになりました。
Lifestyles Of Health And Sustainabilityの略で、Sustainabilityは持続可能という単語。意味は、健康と環境とを考えたライフスタイルだそうです。
現在の大量生産・消費の経済活動を続けていくと、環境破壊を免れず、それが個人の健康にも害を及ぼすこととなります。また、極度に発達した効率生産は人体によいという観点から限りなく離れていきます。
ロハスはゴミを出さないとか、長持ちするものを買うという環境に配慮した生活は、無農薬の野菜を食べるとか、ヨガをやるとか、個人の健康を維持していくことと同列に考えるわけですね。
体や健康を重視した生活というのは、分かっていてもなかなか出来ないものです。多くの方が実践される食事に気をつける、運動を続けるなど、面倒くさくなってしまいがちです。しかし、時代の雰囲気は徐々にそんな風に変わってきてるのでしょうね。
投稿者 肥塚 : 18:30
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2005年09月01日
8月が終わり、今日から9月が始まります。
ここ数日、涼しくなったのは、近くに台風がいるせいなのか、しかし、今日は暑くなると予報では言っていたのに、さほど暑くもありません。ついこの間の酷暑に比べれば、やはり涼しく感じるのですね。気温計を見ると、30度を越えています。30度は、今やそんなに暑くもないのでしょうね。
暑さによる体への負担が減り、『食欲の秋』『スポーツの秋』『勉強の秋』『労働の秋』(後ろ二つは、僕も聞いたことあるようなないような(笑))と意欲の湧く季節になります。体の調子が良くなると、気持ちまで上向きになりますが、日本独特の四季の移り変わりには体は対応し、また日本文化は四季に親しんでいます。そして、四季が移り変わる節目には、心も体も自然とそれを意識しているのですね。
体はいつも同じ状態ではありません。色々な影響を受けながらも、一定のリズムがあります。普段は、それを感じることなく過ぎてしまいがちですが、四季それぞれに体を整えていくことは、忙しい日常生活を少し穏やかに過ごす良い方法だと思います。
投稿者 肥塚 : 20:03
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2005年08月25日
熱帯低気圧と呼ばれているので、これが近づき、通りすぎるまで気圧は下がり続けます。受付の横に気圧・気温湿度が一緒に示されている豪華な計器がありますが、この気圧を表す針も普段では見られない動きをします。台風が来ると、どこまで下がっていくのか、見ていてワクワクします(笑)。
話しがそれましたが、この気圧と体の関係のついて…。
基本的に気圧は昼が高く、夜は低くなっています。これは、いつからかは忘れましたが、少なくとも人間が、地上に現れるはるか昔のことです。この気圧の変化に人間の体は対応してるといえるでしょう。昼間は人間が活動しやすいのですが、気圧が高くなってくると体が活動モードになります。交感神経が上がってくるのです。
また、夜、気圧が下がり、それに反応して体は副交感神経優位となって睡眠、休息をとるのです。
天気の良い日に気持ちがよく外へ出たくなる(今は暑くてそうでもない。)とか、雨の時には気分もパッとしないとか、これも気圧を敏感に感じ取って体が変化しているそのまま、思わず気持ちとなって出てしまっているのですね。
今日、患者さんで、頭痛がするから会社を早退するといった方がいらっしゃいましたが、どんどん下がっていく気圧に、体が大きく反応してしまったのでしょう。そろそろ、皆さんも帰りたくなってきたのでは?
投稿者 肥塚 : 16:21
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2005年08月11日
今週末から夏休みを頂き、実家のある京都に帰省します。京都というと響きは良いですが、実家はもっと南、大阪と奈良にも近い、風光明媚な田舎です。すぐ近くには宇治川が流れ、山間ながら開けた景色は日本百景の一つとなっています。
高校を卒業するまでは、日常的に電車に乗ることもなく、生活圏は自転車の範囲だけでした。高校までの通学路に一軒のパン屋があり、そこで部活の後、買い食いして友人としゃべってるのが楽しいことでした。それがこの池袋でこうして働いているなんて、当時では想像し得ないこと。やっぱり、それだけの時間が経過してきたのでしょうね。帰省のたびに、その風景に包まれて、当時をぼんやり懐かしんでいます。
投稿者 肥塚 : 14:19
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2005年08月04日
昨日はお休み。妻の実家でぼんやりテレビを見ていると、体についての話題がありました。一つは熱中症。気をつけるのは陽射しと水分で、汗のかき方によって塩分の補給が必要になるということと、普段体を動かさず、体温の上昇に慣れていない人ほど熱中症にかかりやすい傾向にあるとのことです。
二つ目の話題。最近、永久歯が生えてこない子供がいるとのこと。元々乳歯だった場所は、隙間になっているか、驚いたことに大人になっても乳歯がそのまま残ることもあるそうです。
この二つに共通するのは、それが環境要因であるということです。以前にはなかったような環境が、今では普通ということが人間の体を変えていきます。それが、一、二世代の間で起こっているということ考えると、次の世代の子供達のことが非常に心配になってきます。
投稿者 肥塚 : 17:35
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2005年07月28日
仕事柄でしょうか、歩き方を考えながら歩きます。足の運び、腰の高さ、骨盤の傾き。そして、どこに力を入れどこの力を抜くか。よく自分を観察すると、いつも感覚が違うことに気づきます。朝、駅まで行く時、特に歩き出しが顕著なのですが、体がぎこちなく感じられ、体が温まるのか徐々にそんな感じなくなります。関節は動くことでやわらかさを維持するので、寝ているときのように長時間動かさないでいると、固まってしまうのですね。なので、一日仕事して、帰りの駅から家までの方がスムーズに感じられるぐらいです。一つ一つ気をつけていることがつながって全体として感じられると、とても気持ちがよく、仕事の疲れも少し和らいできます。朝の通勤時と夜とでは駅構内の雰囲気が少し違う感じがするのも、疲れた人たちが表わす歩き方なのかもしれませんね。
投稿者 肥塚 : 20:06
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2005年07月21日
いよいよ梅雨が明け、本格的な夏がやってきました。昨年の30度を越える真夏日の連続記録を考えると、これほど気候が恨めしく思う時期も他ではありません。体も普段より少し疲れ気味になり、仕事モードへの切り替えも一苦労です。
そんな中、昨日はこちらは定休日でしたが、一日中気持ちよい風が吹き、とても過ごしやすく、何だか得した気分になりました。体はダメージを受けたり、喜んだり、がいつも繰り返されているものですが、このような体の声に耳を澄ませていると、自分が何をしたいのか、どのように行動したいのかわかるような気がします。現実がそれを許してくれないことも多いのですが、第三者的に語りかける体は、当たり前のことですが自分の体なんですよね(笑)。
投稿者 肥塚 : 16:04
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2005年07月14日
最近、新しく骨盤コースというのを設けて、下半身の体型でお悩みの方々に応えていくようにしています。何かと、骨盤の歪みにその原因が求められ、それは腰痛や生理痛だけではなく、プロポーションに関してもその傾向が定着しつつあるようです。
これが非常に好評で、女性にとって骨盤はかなり大きな問題であることを改めて感じさせられました。また、個人差はありますが、以外にも何かしらの症状を抱えている方が多いです。形そのものは、機能の表われです。形だけにとらわれるのでなく、機能upを目的として、形を整えていったほうが良いのでしょうが、骨盤コースで来られる患者さんたちの「こうして欲しいっ!」という情熱に、なんとかついて行ってます(笑)。
投稿者 肥塚 : 21:02
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2005年07月07日
「共感と同感は違う。」以前、友人から聞いた話で、当時は良くわからなかったのですが、最近何かと意識するようになりました。相手が感じたことに自分も同じように感じられれば、それは同感です。でも、お互い違う人間なので、いつも同感できるとは限りません。その場合、自分がそこにどう感じたかは関係なく、相手の感じ方をそれが相手のものとしてそのまま受け止めるのが共感です。これは意外と難しいものです。つい、自分の意見を言いたくなったり、逆に自分に無関係とばかりにそっけなくしてしまったりします。
患者さんと接する場合、その訴えは、自分が経験していない限りなかなか同感できるものではありません。であるならば、患者さんのつらさを自分の浅い経験で量ることなく、そのまま受け止めることが大事なんだと思います。
投稿者 肥塚 : 22:00
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2005年06月30日
同じような症状でも、患者さんの訴えは様々です。肩こりでも、「コる」「張る」「重い」などが多いですが、「だるい」「しびれる」「苦しい」「何か乗っかっている感じ」など、つらさの表現は実に多彩です。肩周辺の構造や病態はある程度決まっています。にもかかわらず、それに対して色々な感じ方があるのですね。「どんな風に感じていますか?」という質問に、しばらく沈黙して「なんとも言えないつらさです」とか「これはコってるというのですか?」逆に聞かれたりすることもあります。
自覚症状というのは、その人の体の悲鳴です。他人には理解しがたいつらさなので、これに耳を傾けず、見ない振りしていると、思いがけず悪化したりします。多彩な表現は、悪化させたくないという不安から生まれるものなのかもしれません。
投稿者 肥塚 : 14:26
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2005年06月23日
最近、O脚が治りつつあるんです。今まで、直立しても膝がつかず、脛の骨がねじれていました。これは高校生ぐらいからで、その形が特に気になっていたということでないのですが、ここ何年か、立っていてすぐ疲れるようになってきていました。電車の乗っている20分ほどの間に、疲れを感じるようになったのです。ゆがんだ足ではエネルギー効率が悪く、いつも疲れた状態になるのですね。
自分の姿というのは、いかに体を使うかであり、そこに傾ける意識だということを身をもって知りました。もちろん、だからといって誰かと足のきれいさを比べられるぐらいではないのですが、自分が変わっていくとき、なんともいえない満足感が得られるものなんですね。
投稿者 肥塚 : 21:30
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2005年06月16日
からだはとても精巧に出来ていますが、機械と違うのは、それを保とうとする働きがあるとうことです。生理学ではこれを、『恒常性』と呼びます。
色々な症状を抱えて患者さんはやってきますが、びっくりするぐらいに治っていくことが少なくありません。私達が、駆使するカイロプラクティックという一つの技術は、「こうすればこういう経過をたどってこう治る」というセオリーをもっています。しかし、その予想を超えて治る姿からは、その患者さんの治る力を感じざるを得ないのです。一方で、『自然治癒力』という言葉があります。非常に曖昧で、指し示す範囲が広すぎるので、あまり使いたくはないのですが、これらの力が私達を助けてくれているのは、まぎれもない事実なのです。
投稿者 肥塚 : 20:52
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2005年06月09日
患者さんから、よく「疲れませんか」ということを聞かれます。一日中、患者さんが入れ替わり立ち替わりすれば、それだけの運動量があるので、もちろん疲れます。しかし、これも訓練の賜物。最初は、汗だくになりながらだったのが、体が出来上がってくると、そんなに疲れなくなります。体を使う仕事というのは、徐々にその仕事に見合った体になっていきます。ただ、それまでに体を壊してしまうことも少なくありません。激しく使えば使うほど、壊れやすい。しかし、私達は体の専門家。どうやったら壊れずに済むかを前提に力の使い方を考えます。そして、これは患者さんにも応用できるもので、日常的な動きや姿勢などはこういった自分の実践から導き出していくのです。
投稿者 肥塚 : 17:51
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2005年06月02日
私達が2年間通った学校では、技術のほかに座学もかなりありました。その中の一つに、『解剖学』はあります。解剖と聞くと、恐いもの見たさ的な興味が引かれますが、医療系入門者にとっては、最初に立ちはだかる壁なのです。まずは体のあらゆる場所を正式名称でひたすら覚えていくことから始まります。骨、筋肉はもとより、内臓、神経、血管、莫大な数の解剖学的名称が極太の教科書に所狭しと並んでいます。体のどこを指してもそこには名前があって、どこからどこまでがその名前なのか、名前が変わるその分岐点までも名称があります。こんなに記憶力をフル回転させたのも大学受験以来でしょうか。今、残っているのはその時の何十%でしょうが、その時の洗礼が、現在の私を支えていることは言うまでもありません。
投稿者 肥塚 : 17:49
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2005年05月26日
骨格を矯正する。関節を動かす。この技術で私達は仕事をしています。よく整体やカイロプラクティックのHPなどでみられる、患者さんを横向けにして腰のところをねじるようにしているのが腰椎や骨盤の一般的な矯正の形です。これが簡単に見えて難しい!まず、思ったところに力がかけられません。というより患者さんにかぶさるような中腰の姿勢では力が出せません。そして高速低振幅といわれる瞬間的な力も、全身の力を手に伝えなければ、深部にある骨格には届きません。出来るようになるまでには、血がにじむほどではないにしても、額に汗するぐらいの努力と根気が必要でしょう。「手に職があっていい!」と言われますが、技術というのは簡単には授からないみたいです。僕もこの仕事を始めて6年目になりますが、まだまだ十分だとは言えません。福井院長曰く、「10年やって一人前」までは、道半ばといったところです。
投稿者 肥塚 : 21:45
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2005年05月19日
この仕事を始めて最初ににあった大きな壁は言葉でした。そう、私は関西出身です。最近は自分でもましになったと思うのですが、今でも初めての患者さんに「関西の人?」と聞かれることがたまにあります。聞く人に間違いなく印象付けることができる関西弁は、面白い・きつい・親しみやすい等々の特徴がありますが、ひっくるめて「近い距離感」だといえると思います。関西の人は摩擦を生みそうな近距離で最初から接し、相手との人間関係を作っていきます。ただそれはその距離感が通用しない範囲では、踏み越えられたくない心的領空を侵犯するおそれがあります。それまで会社勤めだった私は上司や取引先のお客様に対して、言葉の問題をほとんど感じなかった(普通はそこで気付くのでしょうか?)のですが、事情が全く変わり、それまで私が持っていた距離感では患者さんとの空気はつかめませんでした。不器用な私は非常に苦労した時期を経て、私の今の話し方になったのです。
投稿者 肥塚 : 14:42
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2005年05月12日
お医者さんが行う手術に対して、カイロプラクティックは「非観血的手術」といいます。つまり「メスを使わず、血を観ない手術」という意味ですが、私が学校に通って間もない頃に聞かされたので、正直言って、この言葉にはかなりのインパクトを受けました。その響きには、寸分の狂いも許されないというような厳しさがあります。更にそこには使い方を誤ると危険が伴うということを意味します。「俺はこんな世界に飛び込んでしまったのか・・。」そんなプレッシャーが重くのしかかり、自分にできるのだろうかという不安が倍増していきました。
今から思うとそんなプレッシャーは、逆に自分の覚悟を決めるきっかけになったような気がします。この世界に入って初めて目指すものの本質を知らされる事となったこの言葉ですが、今でも矯正するその瞬間、頭をよぎり、身を引き締めてくれています。
投稿者 肥塚 : 17:38
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2005年04月28日
仕事に不満があるわけでもないのに「何かが違う」と感じていた会社員時代。待てど暮らせど訪れることのない転職のきっかけ。そして、思い余ってといったほうが良さそうなぐらいの転身。今でもあの時の自分を振り返ってみると、「何を考えてんだ!」と曖昧だった自分には苦笑いしてしまいます。
さて前回の続きで、「何故この仕事を選んだのか。」ですが、正直言うと最近ようやくはっきりしてきたんです。それは、患者さんの「ありがとうが聞きたくて」です。え?どこかで聞いたことあるような?でも、単純に誰かの助けになりたいってどこかで思ってる自分がいるから仕方がない!天職なんです!!ってちょっと暴走してしまいました。しかし紛れもなく、この「ありがとう」はあのまだ若かりし頃の自分の中に眠って気付かなかった動機なのです。
投稿者 肥塚 : 12:07
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