|
« 2006年10月 |
ブログTOP
| 2006年12月 »
2006年11月30日
インターネットが主な窓口である以上、インターネットを利用する人でなければこちらを知る手立てはありません。もちろん御紹介の方を除いてですが。
つい先日、70歳代の方がいらっしゃいました。このぐらいの年代だと、カイロプラクティックは怖いものという印象を持つ人がまだまだたくさんいて、接骨院や整形外科以外の選択支をなかなか見つけられないという問題もあります。
最近はパソコンを操るご高齢の方も増えてきているんだなと思い、伺ってみると遠方のご子息に調べてもらったということでした。
多くの患者さんがおっしゃるように、ホームページを見ても実際に行ってみないとわからないのが本当なのですが、この方もご子息に見つけてもらったものの、周りの友人から怖い体験などを聞かされていました。そのわりにご本人はそれほど心配してらっしゃらなかったので、何とかたどり着けたというところでしょうか。
この世代からの信頼は思ったより失墜しているものだなと改めて思い知らされました。
ご高齢の方のからだが、若い世代に比べて改善しにくいというのは大いにあります。何十年もの間動き続けてきた歴史が、私達の前に立ちはだかります。
しかし、からだのはたらきを筋骨格系から整えるというのは紛れもなくカイロプラクティックの得意とするところ。高い技術で、もっともっと信頼を勝ち得ていきたいと思います。
投稿者 肥塚 : 14:38
| コメント (0)
2006年11月28日
~職人~
日本人の、職人芸を愛する下地がいつ頃からあったのか解りませんが、古くからこの国では職人を尊んできたようです。
身分の貴賎に関係なく職人(技能)に憧れと尊敬の念があった。
他国(儒教の中韓、基教の欧州など)では、
「身分が高まるほど、技能など労働関係を遣りたがらず、それらは専ら下のものに遣らせて、士大夫足る者はアタマだけ使えば良い」
という風潮があったようで、そこからみれば日本は異質と言えるかもしれません。
ブルーワーカーを他国とは違う目でこのように捉える日本を、米国のフランク・ギブニー氏(ジャーナリスト)は、「職人を尊ぶ国」と評したそうです。
ちなみに、ワタクシこの日本の職人文化も、某首相が唱えた‘美しい国、日本’のひとつだと思っております。
また、本来保守的な日本人が、文明や文化を抽出し昇華する癖(能力)が非常に強い民族と云う事は疑う余地の無いことですが、ある意味これも職人芸ですね。「好奇心・探究心」という、知りたい、究めたいという(優れた)技能向上への欲求が日本人には強いのかもしれません。
腕を磨く喜びの日々にワタクシもう頭まで浸からせていただいております(あっぷあっぷ)。
投稿者 加藤 : 20:35
| コメント (0)
2006年11月21日
~避難勧告への意識~
先週水曜日の夜、何気なくテレビを視ていると画面にテロップが流れて、
「千島沖を震源とする深さ30kmマグニチュード8,1(その後7,9に修正)の地震が、20:15頃発生しました」
続いて、
「津波の警報が出ているところでは、北海道太平洋側の東部で高さは1m、オホーツク海側では高さが2m・・・」
何~っ!
ワタクシの記憶では、有史以来(明治か江戸かアイヌの古老の伝承だったか)網走での津波被害は確か1回くらいだと思っていたので、2mという数字には驚愕してしまいました。
-----ワタクシ(倅)早速、網走の実家に連絡を取る-----
倅「今、地震が発生したらしい。そっちに津波の警報が出ているよ。」
父「へー。ぜんぜん 揺 れなかった けど?(電話の後ろでピコピコと電子音)」
倅「日本じゃない。千島列島の択捉付近が震源みたい」
父「 へー。揺れ なかった から、たいした地震 じゃ な いんだろう。(ピコピコ)」
倅「テレビ点けてみなっ。NHK。速報出ているから!(焦)」
父「 今 ゲーム から テレビに 切り 替える からチョッ と待っ て。(ゴトッ。ガチャッ)」
倅「・・・・」
と、温度差のある会話のあと、父に状況を把握してもらい、高台へ避難していただくようワタクシ御勧め申し上げました。
その後、網走では22:07に観測された10cmの津波が最大だったようで、無事被害はなかったようです。
深夜まで、道東から三陸を中心に津波への警戒網が敷かれた(テレビでは番組からCMに替わっても津波の警戒地図が消えずに画面に出ている程)今回の津波対策。
それぞれの地方自治体による職員の非常招集、広報車を使った住民への呼び掛け等の労により、北海道では22市町村の5万4233世帯、13万1400人に避難勧告と避難指示が出されたようですが・・・、対象となった住民のうち実際に避難したとみられる人数は凡そ1万3354人(16日午前2時10分現在)とのこと。
津波の避難勧告に住民が「公の意識」で応じるべきか「私の判断」で応ぜずとも良いのか、甚大な被害が出る前に是非検討するべきテーマだなと、この度の一件でワタクシ何となく感じた次第です。
投稿者 加藤 : 22:00
| コメント (2)
2006年11月18日
「鎧は持てば重いが、着れば軽い」
古武術を研究している甲野善紀さんの言葉です。
古武術というのは昔の人たち(江戸時代の頃)の身体の使い方を研究するといいます。
現代のスポーツのトレーニング方法は筋力をつけて能力をあげることに重点が置かれていますが、それだけでは出来ない動きがあり、そういったものを可能にするヒントが昔の人達の身体の使い方にあるそうです。
鎧を持とうとすると腰や腕に負担がかかりやすいが、着るとその重さは自然と全身にかかります。
腕、腰だけに頼らずにその他の部分でも重さを分け合うようにすると、負担のかかりやすい部分を痛めることは少なくなり、何より力を使わなくても重いものを持ち上げることができるといいます。
例えばどんなことができるのか。
椅子に座った人をそのままの状態で椅子から持ち上げてしまう技が、古武術を介護に生かす番組の中で紹介されていました。
これは筋肉の力に頼ってやるとかなり難しいみたいですが、甲野さんが説明されたように両足で地面を踏ん張らないようにして、腰を支点に身体を使わないようにすると持ち上がるそうです。
はじめはやってみたもののできなくて「ホンマかいな?」と思いましたが、コツがつかめてくると80キロの人を椅子から持ちあげることができるようになりビックリしました!
からだの使い方を工夫することでいっけん無理に思えることが出来てしまう。
知らない人からすれば火事場の馬鹿力のように見えるのかもしれません。
つらつらと書いてきましたが、やりかたを聞いただけではピンとこないですね。
だから甲野さんは「ホント~?」と番組の中で訝る共演者達に笑いながら言うのだと思います。
「まずはやってみて。じゃないと分からないから」
投稿者 松本 : 18:15
| コメント (0)
最近は女性も男性並に(それ以上?)仕事をされている方が多いですが、当院に来られる女性の患者さんのお話を聞くととても厳しい環境でお仕事をされている方が多いように見受けられます。
そこで少し考えてみると男性の職場に女性は居られますが、女性ばかりの職場に男性は居づらいものです。もちろん例外はありますが社会というのはそういった役割分担でできていてうまく回っていくような気がします。
女性が多い職業といえばすぐ思い浮かぶのが看護師さんや幼稚園の先生などの女性特有の細やかさや優しさが必要なお仕事ばかり。考えてみると幼稚園の年代の子供はやはり母親の温かさが必要で小学生、中学、高校と成長するごとに男性教師の父親の厳しさを与えられると考えると自然なことなのでしょうね。
男性ばかりのグループで女性が一人居るだけでその場の空気は和むものです。ちなみにこの感覚は女性が実感するのは難しい感覚のようです。なぜなら女性はその場に自分がいる雰囲気みたいなものこそ普通で自分が居ない雰囲気は実感しようがないからでしょう。
社会において女性の役割はますます重要になってきます。当院のスタッフは全員男性ですが、女性的な細やかさ、気配りなどは疎かにならないように今後もより一層心がけて行きたいと思います。
投稿者 桃原 : 14:50
| コメント (0)
2006年11月14日
~イルミネーション~
朝の冷え込みが感じられる今日この頃ですが、それもその筈で、暦を見れば間もなく師走・・・
この時期くらいからか、夜の住宅街を歩けば電飾御殿(今では年末の風物詩ですね)を見かける機会が増えてきます。
「も、もうすぐクリスマスな、なんだな。」
と、その風景を万感の思いで眺めるワタクシですが、ホワイトXmasが常識(時にはブリザードXmasもあったり)の日本の極地方で暮らしていた為か、雪の無い東京で味わうクリスマスと言うものに、少し違和感を持っておりました(大げさ)。
しかし最近の‘東京Xmas’では、暗く静まり返った日常の住宅街が突如、電球で華やかに飾られ、ライトアップした夜桜のように魅せてくれます。
Xmasの電飾は、街路樹やクリスマスツリーなど昔から行なわれてはいましたが、一市民が庭家を鮮やかに彩る事が流行りとなり、今ではごく自然に感じられるほどクリスマスの定番となった感じが致します(むしろ、雪以上にXmasの雰囲気を出しているかも)。
行き交う人を楽しませてくれる都市部の迎Xmas作戦、ワタクシ的には是非続けて欲しく思っている次第です。
投稿者 加藤 : 22:55
| コメント (0)
2006年11月11日
火事場の馬鹿力。
火事などの時に普段は持てないような重いものを持ててしまえることなどを言いますが、そのメカニズムとして普段抑えられている筋肉の力を使えるからというのがあります。
私達は日常生活の中で筋肉の力をすべて使えてしまうとからだを痛めてしまうので、力いっぱい使ってるつもりでも普段は抑えられています。使おうと思っても使えないが、緊急時にはセーブ機能がはずされるためにとんでもない力が発揮されるという具合です。
そういえば『北斗の拳』の主人公ケンシロウがこう言っていたのを思い出しました。
「普通、人間は己の持つ力の30%しか使うことができない。だが、北斗神拳は残りの70%の力を引き出すことができる!」
だからケンは彼の何倍も太い腕を持つ大男と腕相撲をしても負けません。すごいの一言です。(漫画の世界ですけど)
という具合に馬鹿力についてそういう理解でいたところ、ある本の中にこんな内容のことを見つけました。
火事場の馬鹿力を使っても身体を痛めたという話をあまり聞かない。
緊急の時にリミッターがはずれて筋肉の最大パワーが出るというより、一部分の筋肉だけでなく全身をうまく使うというからだの使い方が出来ているから重さをそんなに感じずに持ててしまえるのではないか。
次回につづく
投稿者 松本 : 12:15
| コメント (0)
2006年11月09日
そろそろ、朝、顔を洗う水が冷たく感じるようになってきましたね。
夏場は火照った顔に冷たくて気持ち良かった水でした。最近では、冷え込む朝には少々気合が必要です。いつまでお湯を使わずにいられるか、毎年結構頑張ったりしています。
「冷たくないと思えば冷たくない。」心頭滅却すれば…ではありませんが、やはり気合の入れようで違います。その一瞬、からだの受け入れ態勢が整うのでしょう。意外と冷たくなく、夏場のような気持ち良さも味わえます。
そういった精神の働かせ方は、徐々に失われつつある日本人の得意な「根性」「忍耐」の類です。それらは、精神を一つの方向に向かわせるだけで、無駄が多く、工夫のしようのないのが欠点です。効率性の時代にあっては、適しなくなってきているのでしょう。
一方、現代日本人が時代に適応させた精神があります。
『OOモード』という言葉があるように、現代日本人は様々な局面に応じて自分の内面をスイッチしていくことを身につけました。仕事場とプライベートというだけでなく、多様な人間関係の中で、スムーズなコミュニケーションをとるべくモードが変わります。
このモード変換を利用して、からだを反応させるわけです。
朝、洗面台の前に立ち、半分寝ているからだのまま、自分のモードをテンションを上げる場面にスイッチします。付き合って間もない恋人と待ち合わせているとき、三次面接までクリアして最終面接のドアを開ける瞬間、お稽古事の発表会。
そうすると、思ったよりも水が冷たくないのが意外なほどです。もちろん、どこまでもというわけにはいかないでしょうが、いつまで水でも大丈夫なのか今年はこの方法で試してみようと思います。
投稿者 肥塚 : 11:09
| コメント (3)
2006年11月07日
~Dr.○トー診療所2006~
先月から始まった(先週で第4話が終了)番組で、ワタクシが現在視聴している唯一のドラマが、この「Dr.○トー診療所」。
2003年に連続ドラマ(11回)や、2004年に特別編などを放送して好評を博した作品です。
内容は・・・
過去に赴任医が犯した誤診以来、赴任してくる医者に不信感を抱いている南の離島へ新しく診療医として赴いた主人公。非協力的な島民・乏しい医療設備・僅かなスタッフという環境の中、懸命に人を助ける主人公の姿が、島民のココロを次第に変えていく・・・
ヒューマン医療ドラマというのか、主人公が「病気」を診るのではなく「病人」を診る事を信条とする姿勢にココロを洗われる思いがします(ちなみに「○」にはカタカナの「カ」では有りません)。
投稿者 加藤 : 23:36
| コメント (0)
2006年11月04日
少し前、明け方に家の前で車の事故があったことを書いたのですが、また同じ道路で事故が起きてしまいました。
22時頃、「ドカン!」という聞き覚えのある大きな音がしたので外へ出てみると、すぐそばの電柱に車体の左側がめり込んで、色々なものが辺りに飛び散り、見慣れた通りは一瞬にして事故の現場となってしまったのです。
道路の幅が狭いこと(制限速度は30キロ)と夜で雨が降っていたことを考えるとスピードはそんなに出ていないと思いますが、(運転者の方のお話だとハンドルを切り損ねたとのこと)鉄の塊である車は電柱を簡単に曲げてしまいました。
速さはなくても車は質量が多いので、衝撃力は大きくなる。
20キロのスピードの車でもまともにぶつかれば、自転車は曲がり、人は吹っ飛びます。
当たり所が悪ければ死んでしまうかもしれません。
数日後、東京電力の人達がきて電柱をまっすぐに修理してくれたので、助かりました。
ただその電柱はかつて事故で曲がっていたんだということは忘れずにいたいです。(自信ないですが)
投稿者 松本 : 20:42
| コメント (0)
2006年11月02日
私達のからだは酸素と栄養を外部から取り入れ、エネルギーやからだの一部を作り変えたあと、残りカスを外に出して、状態を保つようにしています。それを個体の営みといいます。
遺伝子による寿命はあるものの、まさに何十年もの間、からだはその営みをやめることはありません。これは、どんなに科学技術が進歩しても、人が作り出すものの寿命と比較しては、圧倒的に長くなります(あっ。おじいさんの古時計には負けますね)。
日本も含め先進国の平均寿命が伸びてきたのは、医療の発達もありますが、やはり栄養状態が良好になってきたことが大きな理由でしょう。
しかし最近、『食育』という言葉が頻繁に出てきているように、私達を取り巻く栄養環境と私達の体の状態が一致しなくなってきています。決して食べられない環境ということではなく、いつでもどんなものでも食べられるような環境だからこそ、徐々に『食』というものがないがしろになってきたかのようです。
ただ単に、食べ物はからだの中に入っていくのではありません。口元に食べ物を運ぶのが食事ではありません。咀嚼し唾液とからめ、消化液で分解し、絨毛で吸収します。
食べ物が入ってきたときの感覚を大事にしていくと、栄養の吸収率が違うのではないかと何となく確信しています。
「熱い塊が喉を駆け下り、胃の中で爆発する。」「一気に胃の中に送り込んだ。」「たちまちの内に胃の粘膜が吸収いていくのが分かった。」
全てアルコールに対しての表現なのですが、たまには読んでみるものですね。ハードボイルド。
投稿者 肥塚 : 11:20
| コメント (0)
|